昔は貝がらががお金だったと言う

投資・消費・浪費の境目について(安田佳生さんのゲリラマーケティングの質問を拝借)

ぼくがよく聞かせてもらっているPodcastで、「安田佳生のゲリラマーケティング」という番組がある。

もうおそらく5年以上続けられている番組で非常におもしろい。どうおもしろいかは聞いてみないとわからないと思うので、ぜひ聞いてもらいたいと思う。

さて、そのゲリラマーケティング(略してゲリマ)では、リスナーから質問を受けて、それに安田さん含む3人のパーソナリティの方々が回答するのだが、いつだったかの回で、タイトルにもある通り、「投資・消費・浪費の境目について教えてください」との質問があった。

この質問をされた方は、とても素晴らしい着眼点をされていると思った。今回のぼくのブログではこのお題を取り扱って、ぼくなりの境目を模索したいと思う。

まず消費とは

ぼくとしては、まず消費がわかりやすかった。

ぼくはドラゴンクエストが好きなので、よく例えとして使うのだが、消費は魔法を唱える時と似ている。

つまり、MP(マジックポイント)を ”消費” して、魔法を唱えるわけだ。それは攻撃魔法のメラだったり、回復魔法のホイミかもしれないが、いずれにしても、かかるコスト(MP)に対して、必ず、効果(10のダメージだったり、30の回復だったり)を受けられる。

このように、コストに見合った効果を得られるのが、ぼくの中での消費である。

現実世界で言えば、買い物がそれにあたる。

コンビニでお金を払って、水を買う。100円という資産は失うが、その代わりに水分を手に入れることができる。100円というコストに対して、生きる上で不可欠な水を手に入れるのだ。そういった意味だと、何かを交換する作業とイメージ的には似ている。

では、投資とは?

次に投資を考えてみる。

株への投資が想像がつきやすい。

お金をかけて会社へ投資をする。その見返りとして、株主配当を手に入れたり、株価が上がった時に株を売ることで差額の金額を手に入れることができる。

このようにある程度見返りがわかっているものに対して、自分の資産を使うことを、”投資”と捉えている。

ポイントは、ある程度見返りの存在がイメージできているという点だ。

またドラクエの例えだが、お遊びの一環で、ゲームの中でカジノが出てくる。ここではスロットやポーカーをして、現金を換えたコインを増やすことができる。そしてそのコインを景品と取り換えることができるのだ。

ここではコインが強い武器防具や、レアなアイテムと取り換えることができるが、それ以外のことはできない。コインをレベルアップに必要な経験値に換えることはできないし、コインを使って仲間を増やしたりはできない。交換の対象は限られるだ。

このように使った資産に対しての見返りの想像がつくものが投資と考えている。そしてもちろん投資なのだから、失敗することもありえる。つまり見返りが手に入らず、資産を失うだけのパターンもあるということだ。

では浪費は?

最後に浪費である。浪費に良いイメージを持っている方は少ないのではないだろうか。

浪費は消費と似ているが、決定的に違う点は、消費は見返り(効果)があるのに対して、浪費はそれらがないということだ。

MPを”消費”してメラを唱えれば、攻撃を敵に与えることができる。これは消費に対する見返り(効果)が発揮されている。

しかし浪費は違う。MPを消費してメラを唱えても、火に強い敵だったりするとダメージを与えることができない。攻撃をすることができなかったので、それはMPを”浪費”したと捉える。つまり効果が発揮できないのが浪費だと思う。

現実世界でも浪費の例えはいくつもある。夜中コンビニに行って缶ビールを買って、帰ってただなんとなく飲む。これは浪費のイメージに近い。お金(資産)は使っているが、特にその見返りや効果は発生していない。もしこれがビールを飲んでスカッとした!ということになれば、効果が得られているから、浪費ではなく消費になる。

まとめ 結論

こう考えていくと、堅実に”消費”をしていって、価値を交換していく。

そして”投資”をしていって、見返りや効果を新規で獲得していく。もちろん投資に失敗することもあるから、投資の割合を高めに設定しすぎないことが必要だろう。

では”浪費”は全く必要ないのか。効果が発揮できないものは不要と考えがちである。

しかしぼくは浪費はかなり重要な位置にあると思う。

浪費はなんの価値も生み出さないように思えるが、意外な発見があったりするのだ。

さっきの缶ビールを買う例で言えば、ただなんとなく缶ビールを買うのは一見浪費に見える。無駄に見える。

しかし缶ビールを買いにコンビニに行った時に、新商品を見つけたりとか、コンビニに行くまでに誰かに会ったりとか、目的がないからこそ、普段気付かなかった点に気づく時がある。

このように無駄だからこそ新たな発見をすることができる。これが浪費の最大の特徴であり、強みであると思う。

しかし、何よりも重要だと思うのが、投資・消費・浪費のそれぞれの割合である。どれかが著しく占める割合が高く、どれかが全くできてないという状態だとバランスが悪い。

例えば仕事をしていて、時間が資産だとすると、この3つにそれを分けたとすると、割合はどのようになるだろうか。

何か目的があって仕事をしているのであればそれは消費であろう。

何も考えずただ言われたことをやるのは浪費であろう。しかし先も言ったように浪費は悪いことばかりではない。言われた仕事をただやっていてもスキルがついたり、新しい発見があったりする。

自分のスキル向上のために、自己研鑽する。これは投資であろう。

しかし、どれかばかりやっていても仕事の充実度は上がらないだろう。それぞれをバランスよく行うことによって、日々の充実度は変わってくるのだろう。

このように、自分の今の時間が、この3つのどれにあてはまっているかを考えながら過ごすのは、有意義なことだと思う。

まだこの3つの考え方については、考え中のところも多く、深堀りできそうな実感がある。実はこの3つの他に2つのジャンルがあるのでは、と勘繰っており、それは「反応」と「休息」である。

おそらく3月の配信になると思うが、これら3つのことについては、自分のインターネットラジオでテーマとして話して、さらに深堀りしようと思う。

今日は以上になります。

お読みいただき、ありがとうございました。

2022-02-26|
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