「Best Effort」。要は最大限頑張りますということ。
このベストエフォートは一体全体どこまで頑張ればいいのか、最近迷いがある。
ちなみに「迷」という字は右側に「米」があるように、米のように小さくてよく見えないというコアイメージがあるらしい。つまりよく見えなくて、判別がつきづらいということだ。
道が細かく分岐していて、それこそどっちに行って良いか、”迷ってしまう”ということだ。
今、自分の手のひらを見てみると、手相が見える。たくさんの皺が手のひらに刻み込まれているが、よくよくみると、迷路のようにも見える。確かにこの皺で迷路を作ったら、かなり難解なものになるだろう。細かい、小さいというのは判別がしづらいのだ。
話を戻そう。ベストエフォートの話だ。最大限頑張るとはどこまで頑張ればいいのか。
それはもう感覚で、雑巾を絞って、1滴残らず水が出ないくらいまで頑張らないといけないのか。だが、それだと何回もそんなベストエフォートをしていたら、あっという間に疲れてしまうだろう。
ぼくは誰かのためだと、自分を犠牲にして頑張ってしまうところがある。そしていつか燃え尽きて何もできなくなることが多いのだが、これを直したいと思っている。なぜなら頑張り続けるのは辛いからだ。
しかし、誰かが困っていると見過ごせないという性格は、そう簡単に直せそうもない。ただ、誰かのために頑張るといっても、なぜ自分は人のためだと頑張ってしまうのか。
どうして人のために頑張るのか
この人間社会は、助け合いで成り立っていると思っている。
誰かがお米を作ってくれるから、自分が作らなくても食べることができる。
誰かが家を建ててくれるから、そこに住むことができる。
誰かが服を作ってくれるから、寒さをしのぐことができる。
米も家も服も、自分で全て賄うといったら、それはとても大変なことだし、非効率だろう。やはり得意な人がやるのが効率がいいのだ。
人はそれぞれ特徴が違う。同じ人は2人といない。特徴が違うのだから、それぞれの特徴や長所を活かして誰かの役に立てばいい。
人間の体を見たって、役割はそれぞれ違う。筋肉も「遅筋」と「速筋」といって、すぐに反射できるが力が弱い速筋と、反射は鈍いが力は強い遅筋と分かれる。どちらが良いということではなく、どちらもあるから、柔軟に物事に対処できるのだ。
この世は役割分担で成り立っている。変に自分に合わない役割を担うのではなく、自然とやれてそれで誰かの役に立てることをするのが、一番効率が良い。
それではベストエフォートとは、最大限、誰かのために頑張るということ。人間社会で生きる以上、誰かのために頑張るのは至極真っ当なことというところまでは、腹落ちできたと思う。
では最後に、「最大限頑張る」ということを、定義したいと思う。
最大限頑張るとは
「頑」も「張」も固いイメージがある。
頑な(かたくな)ともいうし、張るというのはギリギリとしなった弓を想像してもらうとわかるが、緊張状態にある。ゴムをピーンと伸ばし切った状態で、普段の状態ではない、無理した状態である。ゴムも伸ばしきったままでいると、伸縮性がなくなり縮まなくなる。
だから頑張るとは、ギリギリと引っ張って緊張状態にあると言える。そして最大限ということはMAXということだ。ずっと引っ張っている状態を継続するということだ。
そんなことをしていたら、ゴムは伸びきったままになってしまうことは容易に想像ができよう。最大限頑張ってはいけないのだ。
しかし頑張ることも時には必要だと思う。ゴムもなぜ便利かというと、普段の状態から伸びることができるから便利なのだろう。
頑張らないということはできない。誰かが困っているなら助けるのがぼくは普通だと思う。
しかしそれで頑張りっぱなしだと疲れてしまう。だから頑張った(引っ張った)あとは、しっかりと弛緩(ゆるむ)することが重要だと思う。
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