レアステーキ

あることが珍しいから、「有難う」と思う

こんにちは。ブログを読みに来ていただき、ありがとうございます。

今日の話は、「ありがとう」という気持ちについてです。

といきなり言われても「?」だと思います、すみません。

「ありがとう」というのは、漢字で書くと、「有難う」になりますよね。

これは「有る」ことが「難しい」ということで、そんなに滅多に起こることがない、という意味かなとぼくは捉えています。

しかしぼくは有ることが当たり前になってしまって、それに感謝することを忘れていたなと最近思ったので、そのことについて書かせていただきたいと思います。

子どもがいてくれるだけでいいと思った

それを思ったのは、自分の子どもと接しているときなのですが、毎日保育園に連れて行き、帰ってきたらご飯とお風呂の世話をして、寝かしつけをする。土日は子どもと一緒に過ごすという生活を何年も過ごしていると、心の中では、「もっと一人の時間が欲しい」、「休みたい」という思いが芽生えてきていました。(これを大きくなった子どもたちが見る可能性もあるので、あんまりネガティブには書きたくないのですが・・・)

しかしよくよく考えてみると、この子たちが存在してくれているだけで、それだけで十分なのではないかと思い始めてきました。そのきっかけはなんだったのかは覚えていません。今まで積もり積もった思いが発芽したのかもしれません。要するに子どもがいてくれる、存在してくれるだけでありがたいなと思ったわけです。

もし子どもが自立して家を出て行ったらどうでしょうか。家でぼく一人でポツンといるのを想像してみます。誰からも邪魔はされない、一人だけの空間です。最初はいいかもしれませんが、じきに飽きてしまうでしょう。一人目の子どもが生まれる際、妻は里帰り出産だったので、家でぼく一人の時期が数ヶ月ありました。それの寂しいこと、寂しいこと。結婚するまで実家にいたので、一人暮らしの経験がなかったのです。その時初めて一人暮らしを経験するのですが、数週間で人恋しくなりましたね。人間、一人では生きていけないと言いますが、ぼくは特にそうなのかもしれないなと思いました。

今はテレワークも多いのですが、何日も一人で仕事をしていると、精神的に塞ぎ込んでいくのがわかります。ぼくの場合は2日間が限界ですね。それ以上は外出して人とコミュニケーションを取らないと、自分のメンタルが不安定になっていくのを感じます。

少し横道に逸れましたが、要は子どもたちが、家族がいてくれるだけでもう十分だと感じたということです。いくら騒がれようが暴れようが、何もなかったらそれすら起きません。有ることへの感謝を、そこで感じたという話でした。

他のことでも、有るだけでありがたいと思える

これは子どもだけに当てはまらないと思います。

仕事ができていること、健康であること、友人がいること、家族がいること、親戚がいること、趣味の時間があること、生きていること、すべて「有る」からこそ行動したり考えることができるわけで、なかったら何もできません。

もちろんあるからこそ悩みも出ます。人間関係なんかは特にそうですよね。あの人との関係性が悪くなりそれで悩む。いっそこの関係性がなくなればいいのに、とか思うこともあります。

ですがそれがなくなってしまえば悩みは消えるかもしれませんが、何も解決していない気がします。悩みがあるということは何かしらの原因がそこにあるのだと思います。そこを試行錯誤して解決していくのは面白いことだと思います。そこを避けていてはつらいことはなくなるかもしれませんが、面白いことにも出会えないと思います。

色々と書かせていただきましたが、そこに有る、存在することへの感謝ということに、改めて気付かされたという話でした。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

※トップ画:焼き加減が ”レア” なステーキ

2022-07-09|
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