目次
幼少期(小学生くらいまで)
小さい頃の私はあまり活発な方ではなく、例えば友達が公園で遊んでいても、仲間に入れてと言えず、木の影からそれを眺めているだけの少年でした。
父親がテレビゲームが好きだったので、自然と僕も好きになりました。
父は帰りが遅く夜は話せないのですが、朝は話せます。朝食時にやっているゲームをことを話すのですが、はるかに父の方がゲームが進んでいて、色々と攻略方法を聞くのですが、それが父とのコミュニケーションになっていた気がします。
小学4、5年生くらいになると、中学受験の勉強のため、塾に入りました。
当時の小学校では中学受験する子は少なく、あっという間に学年でトップの成績を取るようになりました。
あまり親に反抗することなく、黙々と言われたことをやる子だったようで、言われた勉強を黙々とこなすうちに、あっという間に学力がついたのです。
周りからは、島崎君は頭が良いということ、あと大人しく性格だったため、優等生キャラというのが、小学校時代の僕のキャラクターになりました。
猛勉強の末、第1希望の中学には入れませんでしたが、第2希望の私立中学に入ることができ、中学校時代に入っていくのでした。
中学時代
中学に入ってからも、勉強ができる優等生キャラは変わりませんでした。
運動が苦手だった分、勉強をまた言われた通り黙々とやり、中学3年間、ずっと学力はトップクラスでした。
部活は剣道部に入りました。当時、「るろうに剣心」という漫画が連載されており、「剣ってカッケー!」というかなり単純な理由で入部しました。
てんで弱かったですが、ほぼ休まず通い続けました。
ここでは筋力とかそういった部分以外に、精神的なものを得た気がします。
稽古の前に「黙想」という反目で1分間ほど正座で瞑想する時間が設けられていました。
そこで精神統一を図るわけですが、この「黙想」を3年間続けた結果、精神集中をするのが上手になったと思います。
剣ってカッケー!というところから、思わぬプレゼントをもらった感じでした。
中学と高校は一貫校でしたので、特に生活態度や学力に問題がない限り、エスカレータで進級できます。
今までは優等生キャラでやってきた僕ですが、高校入学くらいから、少し今までと変わってきました。
このまま、言われた通り、生活するだけでいいかと疑問を持ち始めたのです。
高校時代 〜なにかが変だと気付き始めた
まず高校に進学して、自分に起きた変化として、3つあります。
1つ目は、勉強にまるで身が入らなくなってしまったということです。
今まで言われた通り、勉強をこなしてきました。しかしここでいう勉強とはいわゆる暗記です。それを指し示すかのように、数学とか思考力、論理力を問うような科目が段々と苦手になってきました。
また、高校まではエスカレータで進級できますが、大学入試があります。今まであまり勉強をしてこなかった人も、徐々に本気を出してきます。特に今までスポーツに熱中していた人が勉強に精を出すようになると、一気に学力が伸びて驚いた記憶があります。
段々と言われた通り黙々と勉強するのにも限界が来たのと、周りの同級生の学力が上がり、自分の立ち位置が危うくなったことによるモチベーションの低下により、勉強への意欲がどんどんと下がっていったのでした。
2つ目は、2次元の世界にハマっていったということです。
子どもの頃からゲーム好きだったとは書きましたが、いわゆる美少女アニメものにハマるようになっていきました。
中学高校が男子校だったからかもしれません。女性への興味が出るのは普通のことだと思いますが、自分にとってはそういった気持ちは皆無でした。そういった女性への興味が表れてきたのも、変化だったと思います。
3つ目は2つ目とちょっと重複するのですが、女の子との交流を求めるようになりました。友達に紹介してもらって、女子と遊ぶということもし始めました。今となってはいい思い出で、絶対やっておいてよかったと思いますが、そういったことをしていると、学力低下にモロに影響がありました。
そんなこんなで高校時代は、いわゆる優等生キャラが徐々に勉強ができなくなって、ちょっと落ちこぼれていくような3年間だった気がします。
浪人、そして大学生、そして就活・・・。
そんな感じで勉強ができなくなっていったので、大学試験も失敗しました。
第5希望くらいまでどこも受からなくて、行こうと思えば行ける大学もありましたが、今まで勉強ができたというプライドがそれを邪魔しました。
1年浪人することを、親から許しをもらえ、予備校に通う浪人時代が始まりました。
この1年間は最初単発のアルバイトをしたり、女の子と付き合ったりで、勉強一色ということではありませんでしたが、それも早々に切り上げ、勉強に専念しました。今思うともっと効率的に勉強すればよかったと反省できますが、当時の僕としてはよく一人で頑張ったと思います。
そしてなんとか納得のできる大学に、補欠枠として入学できることができました。
僕がその大学の入試試験に向かう朝、母親が近所の有名な神社に行ってお祈りをしてくれたそうです。親の愛情はありがたいものです。
さて、これで晴れて大学生になりました。周りの同級生とは1つ年が上なのと、落ち着いた雰囲気からか、なんだかお兄さんキャラだった気がします。
アルバイトは4年間地元の焼肉チェーン店で働いたのですが、そこでは今まであまり関わってこなかった、ヤンチャな人たちが多く、刺激になりました。(そしてみんなとってもいい人たちばかりでした)
社員の店長が休みの時は代理店長をやるポジションまで行き、トップになって人を指揮したりお店をやりくりする大変さを学びました。これも非常に大きな僕の財産になりました。
そんなこんなであっという間に大学生の時代は過ぎていきます。
大学生は人生のモラトリアムだと聞いたことがありますが、まさにその通りですごく自由な4年間で、楽しかったです。妻夫木聡さん主演の「オレンジデイズ」というドラマが当時放映されていたのですが、あんな大学生になりたいと友達と喋りながら、謳歌していました。
そして、人生の大きな節目、就活です。
周りに流されながら始めた就活でしたが、自分の中でどういう仕事をしたいかという大きな軸がその時はありませんでした。
僕は中学・高校と有名私立校に通い、浪人までしてこれまた有名な大学に入学したんだ。こんな僕は大手企業に入るしかない、と勝手に思い込んでいました。
しかし、エントリーシート段階でズバズバと選考で落とされます。全然先に進めないのです。
途中、大手企業のグループ会社に絞って就活を進めましたが、なんだか気乗りしません。僕の就活は暗礁に乗り上げたのです。
そんなとき、大学の就職相談会みたいなものに参加しました。1on1で相談に乗ってくれるのですが、どんな会話の流れか忘れましたが、もっと自分をさらけ出してやってみようかなと、マインドが変わっていきました。それまではいわゆるマニュアルに沿って、既定路線から逸脱しないように心がけて面接なども受けていましたが、なんだかそこに自分がいないような気がしたのです。
もっと本音で面接官と話す。まあ開き直ったんですね、就活うまく行かなすぎて。するとどうでしょう、なんだか選考もうまく進めるようになっていき、行きたい会社の内定を取ることができたのです。
今振り返っても、何がよかったのか、具体的にはわかっていませんが、きっと自分の言葉で話すようになったのがよかったんだと思います。僕も30代半ばですが、出身校の学生から、相談を受けることがありますが、やっぱり自分をさらけ出して喋ってくれる人の方が、好感が持てます。就活本に則った回答のみだと、「この人は本当は何を考えているんだろう」と勘繰ってしまいます。
僕もそうでしたから、その気持ちはよくわかるのですが、そこを乗り越えないと、就活とか大きな舞台では成功しないんじゃないかと、個人的には思います。
社会人、そして大きな挫折
僕は、入りたかった会社に入社することができました。
その会社はいわゆる大企業で、誰もが知っているであろう会社でした。
僕は、これでやっと解放される、大きな会社で安泰だ、そう思っていました。
一応ですが、この会社を選んだ理由は他にもありました。
インターンで、商品開発体験みたいなことをしたのですが、それが楽しく、ゼロから色々と考えることは面白い、ものづくり、メーカーに就職しようという気持ちは持っていました。
そしてより大きなインパクトを与えられる業界、そして社員数の多い会社を選んだのです。
幸先は良かったのですが、入社してからは苦難の連続でした。
今まで基本的に言われたことをただやるロボット的な人間です。会社に入ると多くの人は知ることになると思いますが、基本的に指示待ち人間は否定されます。そしてあまり手厚い教育はされません。
僕は色々とわからないことがあったのですが、忙しい先輩、上司を見て、質問するのを萎縮していました。そうすると周りの人は、こいつは理解したと思い、次のステップに進めさせようとします。そうするとわからないことがもっと増えていきます。しかし質問をしない。どんどんと悪循環だけが進行していきました。
僕はなんとなく上っ面だけはうまくやって謙虚にやっているように見えていたかもしれませんでしたが、精神状態は最悪でした。そして誰にもそれを相談しないのです。みるみる内に仕事が嫌いになり、辛くなっていったのがわかりました。
そして社会人4年目の冬、朝ベッドから起きることができず、会社に行けなくなりました。そして1ヶ月間会社を休みました。医者に行くとまあいわゆるうつ病です。
うつ病というと、ざっくりしていますが、原因はなんとなくわかっています。よくわからないものをよく噛まずに飲み込むように食べて、お腹を壊したんです。もっと物事を噛めば良かった(質問したりすれば良かった)、人に相談すれば良かった、今思えば改善策は出てきますが、その時の僕はできなったんです。
人間の体は不思議なもので、1ヶ月も休むと体調は改善します。そして心の状態も良くなります。
会社からの誘いもあり、元の職場に戻ることになりました。
最初、会社に行くことは非常に億劫でした。みんなに迷惑をかけてしまった、相当みんな怒っているだろう、申し訳ないことをした・・・。そんなことばかり考えると、自然と会社に行く足取りは重くなります。しかしいつまでもそうはしていられません。最初の頃はタバコを吸いに行くことだけを目的にしました。仕事はしなくていいから、ビルの喫煙所でタバコを吸おう、それができれば万々歳だ。そういう風に自分を騙しながら会社に復帰していったのです。
自分がいなくても、社会は変わらない
自分がいなくなって、さぞ部署のみんなは大変だったろう。そう思って復帰しました。
しかし、そこで見た風景は自分の想像と違っていました。もちろん最初自分が倒れた時は大変だったと思いますが、1ヶ月もたつと、何事もなかったかのように業務が進められているのを目の当たりにしました。
自分がいなくても、仕事は回っている。いや以前よりうまく回っているのではないか、そんなことまで思いました。自分が変な責任感で、抱え込んでしまっていただけだ。そのことを思い知りました。
そこから何年かその部署にはいさせてもらいましたが、異動になりました。
復帰後付いてもらった上司や周りのメンバーに恵まれ、自分の会社生活史上、業務は大変でしたが、非常に充実していた数年間でした。何をするかではなく、誰とするかという言葉がありますが、それを痛感した時期でもありました。
その後、異動先において数年仕事をして、関連ある会社に出向することになりました。
ここでの経験も、自分の中で大きな変化を起こしました。
新しい世界
出向先ではまず職種が変わりました。
今まで営業職でしたが、企画職につくことになりました。計画立案して、上長にプレゼンして、採用してもらうのです。皮肉にも、就活の時にやりたかった、ものづくり、ゼロイチということを、ここで初めてできるようになるのです。
最初は苦難の連続でした。だって、そんな何もないところからスタートさせていくなんて、やったことがなかったんですもの。(今までは言われたことをただする、ロボット人間でしたからね)
しかし時間というのは不思議なもので、時間が経っていくと段々とこなせるようになってきます。
周りの先輩・上司も良い人だったのは助かりました。
あと出向して気付いた点は、今まで常識だと思っていたことが、てんで通用しないと知ったことです。実際、今までの会社で通用していた常識、文化が、出向先ではほとんど通用しませんでした。
自分は井の中の蛙だったんだと思い知り、自分の常識とか世間の常識とか、そういったことに囚われるのはもったいないなと感じることができました。
人生について、よくよく考えるようになる
出向先から戻ってきてからというのも、放心状態が続きました。
一度休職して、自分という存在はそこまで重要ではなく、社会にとって代替可能な部品だと知ったこと。
出向して、今までの自分の常識、価値観が崩れたこと。
この2つの大きなターニングポイントを迎えて、これからの人生をどう生きようか、よく考えるようになりました。
これが2018年の6月頃だったと思います。私も30歳頃で、結婚して子どもも1人いました。
これからの人生どうすべきか、悶々と考える時期が続きました。
そこで出会ったのがクリス・モンセンさんのYouTubeです。
クリスさんはライフ・コーチとして、YouTubeを通して、生き方、悩みの相談を受け付けています。
クリスさんの内容はもちろんのこと、彼から優しさや愛などを感じ、自分が悩んでいる、それ自体を認めてもらったような気がして、非常に勇気をもらった覚えがあります。
もっと悩んでもいい、もっと考えてもいい、そしてこういう風に考えること、そして自分の生き方、人生の送り方を、もっと自分らしく描いてもいいんだと、考えられるようになりました。
そこからはかなり世界が変わっていったと思います。
全てを肯定的に受け取り、そして自分で考えて判断を下すようになっていきました。
自分の興味があることを勇気を持ってやるようにしていきました。
その後、2018年の冬頃から、境目研究家の安田佳生さんのポッドキャストを、知り合いから紹介され、聞くようになりました。
境目研究家ってなんじゃそりゃと思う方もいるかと思いますが、昔は採用関連の会社の社長をやっていた方で、今は友達と友達じゃない人の境目はどこか、とかそういうオリジナルな観点で物事を考え、それを対企業に対し、アドバイスを与えるような仕事をしていらっしゃいます。
安田さんの独特な考えに非常に興味を覚え、安田さんが主催するオンラインコミュニティに属するなどして、考え方を学んでいます。人柄も非常に優しい方で、尊敬しています。
そんなこんなでその他多くのいわゆるメンターとの出会いを通じて、自分らしく生きられた時期だったと思います。ただ言われたことをただやることしかやってこなかったため、最初の頃は、自分は何が好きなんだろう、という掘り返しから始めました。そこから自分の好きなこと、得意なこと、やりたいことを見つけるまでは2年間くらいかかったと思います。途中何度も投げ出したい気持ちに駆られましたが、そこはグッと堪え、毎日毎日諦めず、自分の好きなことと向き合いました。
そんな日々を過ごしていました。
また倒れる。
また倒れてしまったのは、つい最近の話です。
自分の好きなことをして調子が良かったのですが、給料を稼いでいる本職の方でのモチベーションが、どんどんと下がっていきました。
自分の好きなことでもない、得意なことでもない。給料のために働いているだけの生活に、違和感を感じてきてしまったのです。
元来、感受性が高く、それが良い方向にも、悪い方向にもいきがちな生活です。
信頼できる会社の先輩に相談したりもしました。その時は話を聞いてもらえて良かったのですが、根本的な解決には至りません。
車で言うと、ガソリン切れの状態です。給料のためだけに働いている。しかし、モチベーションややる気はない。ただ仕事は忙しい。走れ走れと言われる。
にんじんを与えられないで、鞭ばかり打たれる馬みたいなイメージでしょうか。
また会社に行けなくなりました。
今度もまた1ヶ月ほど会社を休むことになりました。
今はもう復帰したのですが、抜け出した秘訣は、仕事を辛いもの、つまらないものと考えず、自分の見方で、それを面白くしてやろうと、考え方を自分主体にしたことでした。
こう言う風に書くと、なんだか普通のことに見えるのですが、なかなかこの考え方に至るのは難しかったです。また、休んでしまう自分を情けないと思っていました。しかしこれもそんな自分を許してあげることができました。
また休んでしまって、周りには迷惑をかけてしまったと思いますが、自分的には、仕事を楽しむかどうかは自分次第、そしてダメな自分を受け入れてあげる、だめとかいいとか、マルバツで判断しない、そう言うふうに判断しているのは自分、と言う考え方を学ぶことができました。要は全ては自分の思い込みであると言うことに気づけたのです。
全ては自分の思い込み。そう、楽しい、悲しい、嬉しい、イライラする。全ては自分の物差しを使って、その事象を判別しているだけです。その事象自体は変わらず、それをどう受け取るかと言うことです。
今でもまだふわっとしていますが、この考え方は非常に重要な気がしています。
これからの人生について
これからの人生、どうするか。それは歩きながら考えています。
今はできるだけ自分の好きなことができるよう、他の物事は必要最低限の労力でこなそうとしています。ただ手を抜くと言うことはせず、今までのクオリティをキープし、それにかかる労力と時間を削減するため効率化を図るのです。そして余った力、時間を自分の好きなことに費やすよう、毎日試行錯誤を繰り返しています。
この、「好きなこと拡大計画」が、どうなるかは私にも、いや誰にもわかりません。
何も起きずこのまま人生終わるかもしれませんし、何かが起こるかもしれません。
もっと具体的な目標を立てればいいかもしれませんが、僕はそういうの苦手です。
直感的にこれやりたい!と思ったことをやる。そしてそれができるよう、周りのことは片付けておく。そういう風に自分を、解放してやりたいようにやらせることが、今まで言われたことだけをやってきた僕にとっての、いいリハビリになるんじゃないかと思っています。
また、自分の中で進捗があれば、書き足して行こうと思います。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。