取捨選択

何かやらないといけないと思う、焦りについて

みなさん、こんにちは。

今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。

今日は、「何かやらないといけないと思うんだけど、体が動かずに何もできない、俺はダメなやつなんだ・・・」と、もし思ってしまった時、こう考えれば気持ちも好転するのではないかということで、提案させてもらう内容です。

こういった、「何かやらないとまずい」と思っている方は、参考になるかもしれないので、読んで行ってもらえればと思います。

何も得ていないこと=まずいことだという思い込み

ちなみにぼくは結構この、「何かやらないと・・・」と思うことが多いです。

ちゃんとやっておかないとまずいことが起きる、後々困ることが出てくる。そんな恐怖感に後押しされ、何かをやるといった形です。

しかし何かをやらないといけないのはわかりつつも、何をして良いかがわからず、やらなきゃいけないのに、何もできないという板挟み状態になり、苦しむことになります。

どうしてこういった心理状況に陥るのでしょうか。

これは、

  • 何かをやるから何かを得られる

ので逆に言うと

  • 何もやらなければ何も得られない

そして、今何もやってない状態なので、今何も得られていない状態になります。

また、何も得ていない状況はまずい状況なので、何も得られていない今の状態はまずい状態だと言う心理に陥るのだと思います。

図1:何もやっていない現状が、まずいことになるロジック

しかし上記の③で、「何も得られていない状況はまずいことである」とありますが、本当にそうでしょうか。

確かに、

  • 食べ物を得られていない状況はまずいことでしょう。
  • 働かず給料を得られていない状況はまずいことでしょう。
  • 怪我をしたのにケアを得られていない状況はまずいことでしょう。

このように、人間は得られていない状況=マイナスの状態に陥っていることを極端に嫌う傾向があります。

これを『損失回避の法則』と言ったりします。正確には得するより、損をしないことを選ぶと言う意味合いなのですが、それほど損することを嫌うことを強調したくて引用しました。

人間が損を嫌うのは、もう本能的なものなのですね。だから何もやってない状況を何も得られていない状況と判断し、それを回避しようとしているのですね。

正直人間の本能をどうにか直そうとしても、それは一朝一夕でできるものではなりません。

ぼくらが祖先から何千年、何万年と生きてきた中で少しずつ培ってきた、生きるための力なのですから、一人の人間がいくら頑張っても、それを変えるのはものすごく大変な気がします。

だからと言って、この何かしないといけないと言うストレスからは解放されたいものですよね。

ここでぼくの提案です。上図1のロジックをうまく使いつつ、本能に逆らわないで改善する方法がありますので、その説明をしていきます。

そもそも、何も得られていないということはない

③は本能で変えることが大変すぎるので、放っておきましょう。それより①を見てください。

再掲 図1:何もやっていない現状が、まずいことになるロジック

①では、何かをやると、何かを得られるを正として、その逆として何もやらなければ、何も得られないとしています。

ここで疑問なのですが、本当に何もやらなければ何も得られていないのでしょうか?

例えば今日ぼくは朝、コーヒーを入れようとして、コーヒーのドリップが切れていることに気づきました。これではコーヒーを注ぐことができません。

コーヒーを得ようとしたのに、それを得られなかったので、普通はここでイラッとしたりストレスを感じることでしょう。これは当然の心理現象です。何か目的を達成しようと動いていたのに、それがかなわなかったわけですから。

しかし、その後ぼくがどうしたかというと、その代わりに紅茶を入れたのです。そして久しぶりに飲む紅茶はとても美味しく、満足をしました。おまけに氷を入れてアイスティーにすることで、爽やかな感じも受けることができました。

確かにコーヒーを飲みたいという目的は達成できませんでしたが、代替策を取ることにより、満足することができたのです。

ここで言いたいのは、何も得られなかったというときはなく、絶対に何かを得ているということです。

ぼくもコーヒーは得られなかったですが、代わりに紅茶を得ることができました。というよりは、コーヒーを得ることの代わりに、紅茶という別の手段を取る可能性を手にしたわけです。

ぼくは何かを一方的に得ることができるとは思っていません。働いて給料を得ることはできますが、それの代わりに自分の時間、体力、気力を消費しています。

ご飯を食べることができますが、その代わりにお金と時間を使っています。

好きな趣味をすることによって、楽しい気分を味わうことができますが、その代わりに他に使える時間を使ってしまっていることになります。

このように、何かプラスを自分だけ一方的に享受するということはできなくて、何か対価を払っているということなのです。ですから逆に何も得ていないということもできなく何かを得てしまっているのです。

何もせずにぐうたらと時間を使ってしまったとしましょう。ああ今日何もできなかった、無駄な一日だったと思ったとしましょう。しかしその間体力を回復させることができ、ながらで見たYouTubeの内容も、どこかで役に立つかもしれません。

何を得たいのかを考える

時間は誰にでも平等であるため、その時間を何に使うかで、プラスとマイナス、両方の側面があるということです。ですから、何も得られていないということはなく、何かは得てしまっているわけです。あとは何を得たいのか、その代わり何を失ってもいいのかを考え、自分の人生の舵を切っていければ良いのかなと思います。

何かやらないといけないと思っていても、何もできない自分を責めてしまっている人がいれば、大丈夫で、何もやってないと思いつつも、絶対にその時間何かはやっているわけで、無駄にはなりません。あとは何を得たくて何は失っても良いかを考え、歩んでいくのはどうかと思います。

今日は以上になります。

お読みいただき、ありがとうございました。

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2022-07-02|
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