歴史(4)イギリスとフランス
第4回目は、イギリス、フランスを見ていきたい。
イギリス
宗教関連
イギリス国教会
イギリスの特徴として、ヘンリ8世が男子の世継ぎに恵まれなかったとして、何度も離婚→再婚を繰り返す。しかし当時のカトリックは離婚を認めていない。離婚する場合は教皇からの許しを得なければならないということで、非常に面倒。
そこでイギリスはカトリックを離れ、イギリス正教会という独自の一派を作り、独自路線を築いていく。
ピューリタン
スイスのカルバンらのプロテスタントは、特にピューリタンと呼ばれた。
イギリスにいたピューリタンは、イギリス正教会からの迫害をうけ、メイフラワー号という船に乗って、アメリカに行くことを決意。(1620年)
当時のアメリカはスペインやオランダによって開拓されていたが、その2国が弱体化していた時期だった。そしてイギリスとフランスが幅を利かせていた時代であった。
人物関連
エリザベス1世
次に出てくるのが、ヘンリ8世の娘、エリザベス1世。
エリザベス1世は、当時、無敵艦隊と呼ばれたスペインを打ち破る快挙を達成。(1588)
この裏には海賊と組み、海の覇権を握ったという裏話もある。
ビクトリア女王
また、1837〜1901は、ビクトリア女王が統治し、スエズ運河の権利を獲得。これによりインド統治が可能となった。
産業・経済関連
産業革命
そのほかには産業革命が重要なキーワード。(1700代半ばから)
科学革命と呼ばれ、ワットの蒸気機関を使った紡績機が完成。大量生産が可能となる。
三角貿易
またイギリスは三角貿易を実施。
アメリカとイギリスとアフリカで、イギリスはアフリカにまず武器を売る。アフリカでその武器を使って買った部族は、負けた部族を奴隷にする。その奴隷を今度はアメリカに送る。
アメリカに送られた奴隷は働き、砂糖や綿花を作る。これをイギリスに送るというもの。
イギリスでは産業革命が起きており、工場で働く人にカロリーを摂ってもらうために砂糖が必要だった。また綿花を使って工場で綿織物を作っていた。
外交関係
イギリスとフランスがアメリカの獲得のため、戦争。結果、イギリスの勝利。勝ったイギリスはアメリカからの輸入品に対し大きな課税を強いる。特に紅茶について、アメリカで流行っていたが気候上アメリカでは育成に不向きだったため、イギリスから輸入せざるを得ない状況。しかし大きな関税がかかる。しかしそれでも植民地だったため抗議できず、あえて不買運動をすることで抵抗感を示すことに。また起こったアメリカの過激派がイギリス東インド会社の船を襲い、大量の茶箱を海に投げ捨てる事件を起こす。(ボストン茶会事件。過激派を捕まえても、「ティーパーティーをやろうとしただけ」としらばっくれたことから命名)
こういった反英意識が、後のアメリカの独立に繋がっていく。
フランス
人物関連
ルイ
ルイ14世 ブルボン家、太陽王と呼ばれる。次のルイ15世、イギリスと戦争して財政難になってしまう。ルイ16世、マリー=アントワネット(オーストリア)と結婚し、アメリカ独立戦争にも加担するが、フランス内で大凶作に。怒り狂った市民にコンコルト広場で処刑されてしまう(フランス革命1789年)
ナポレオン
国民投票によって選ばれた英雄。様々な功績を打ち立て讃えられたが、スペインやロシア遠征がうまくいかず、島流しとなる。そこから一時復活するがうまくいかず、その生涯を終える。
その後王政復古という王政に逆戻りし、ルイ18世が王座につくがうまくいかない。
次にルイ=フィリップが王座についたり、それでもダメだからナポレオンの親戚(ナポレオン3世)などを王座につけたが、それでもうまくいかず。王政が終わり、真の共和政の時代が訪れていた。
以上
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