(135) 心折れないためには、手放して、あきらめる。

今回も記事を読んでいただき、ありがとうございます。

本日は「心」の健康状態について、話をしていきたいと思います。

特にメンタル的な不調、絶望から来る気持ちの落ち込み、そういったとき、どうすれば心が折れないかについて、話をしていきたいと思います。

かくいうぼくは非常にメンタルがナイーブで、色々なことが気になってしまいますし、くよくよといつまでも悩みがちです。

そのため、メンタルが落ち込みやすい気質のため、それをどう日々の生活で保っていけるかについては、いつも考えていました。

こういった記事についても、自分が悩んだことについて、ある程度自分なりの回答が出たもの、それをシェアすることによって、読んでくれた人の心の少しでも助けになればと思い、書いています。

その心を保つ方法、維持する方法として、ぼくは「手放す」ことと、「あきらめる」ことを推奨しています。なぜ手放すこととあきらめることが必要なのか、またそれがどういった効果を生み出すのかについて、解説していきたいと思います。

大前提 人間は欲深い生き物

一体全体なぜ、手放すことと、あきらめることが、心の状態を保つことに必要なのでしょうか。

これは、どうしてもこうありたい、こうしたいと言う思いが強すぎて、それが達成できない状態に対し、許せない心がストレスを生み出すため、それを防止するために、その欲を手放そうと言う理由から来ています。

人間は良くも悪くも、非常に欲深く、ストイックです。そもそも人間として飢えることなく、平和で病気になってもお医者さんに診てもらえる、これを冷静に考えると、非常にありがたいことだと思いませんか?

人類が誕生してから今まで飢えや戦争、病気など様々な厄介ごとの連続でした。しかし今、それをある程度克服し、生きています。他の動物と違って、天敵もいません。ある意味生物として必要なことは全て満たしてしまったのです。

しかし、人間は生き続けなければなりません。その80年、90年、100年という長い時間の中、何をするか。今までは大きな肉食動物から身を守り、家族をなんとか食べさせ、他の部族から襲われないようにしていた原始時代と比べ、それらの恐怖が全てなくなっています。それでもぼくらは生きていかねばなりません。その間の時間をどう過ごすかと言う問題が出てきます。

そんな中、ぼくたちは生きがいや自己満足、自己充足感を得るため、様々なことをしてみます。と言いますか、非常に無駄で非効率なことをします。仕事で他の人より秀でていると見られたいと思ったり、ずいぶん遠いところへ旅行して満足感を得たり、珍味を食べて面白がったり。。。

人間はその生命が尽きるまでの時間をどう使うか。生きるために生きなくて良くなり、その余った時間をどう使うか、それに悩み始めます。

人間は欲深い生き物です。生きるための条件は揃っているのに、さらに満足感や充足感を得たいがために、何かしら動いてしまう動物なのですね。

人間は進化し、生きるための条件は全て揃えてしまったが、命尽きるまでに時間がある。そこで心の満足感、充足感を得るために、欲をかき、生きている。

欲をかきすぎて自滅する

人生の暇な時間をどう使うか。それは人それぞれです。しかしどの人にも通じて言えるのが、どう生きるか、それに悩み苦しんでしまうと言うことです。

これでいいのか、こうすべきではないのか。本当はもう生きるための条件は揃えられているので、そんなに悩むことはないのです。悩まなくても、食いっぱぐれることなく、生きていけます。

それなのに、もっと安全に生きるためにはこうした方がいいいんじゃないか、とか、もっとお金を稼いで子どもたちに遺してあげようとか、その行為自体はよいことだと思いますが、欲はかきすぎると、自分の身を滅ぼします。

欲という字は、「谷」が「欠」けると書きます。

谷というのは、地面からズボッと穴というか崖というか、ポッカリ空間が空いていますよね。

穴があるとそれを埋めたくなると言いますか、どうしても、欠乏している状態を人間は見過ごせないようです。それを埋めないと嫌なことが起きると、本能的に覚えているのでしょう。

時間はたくさんあるのですから、そういった穴を探すのはお手のものです。そうして生きることにそこまで直結しない穴ばかりを埋めるのに奔走し、疲れてしまうのです。

人生に多くの時間が残されているため、しらみつぶしに、欠点や足りないところを探してしまう。それに疲れてしまう。

穴ぼこを見ない、あきらめる

そんな中、どうすればこの穴ぼこを埋める苦しみから、逃れることができるのでしょうか。

今までの人類は、この小さな穴ぼこを埋める必要はありませんでした。いえ、必要がなかったというより、それを埋める暇がなかったというのが正確でしょう。

そんなことをするより、食料を確保したり、外敵から身を守ることに精一杯だったからです。

しかし今は余裕ができ、粗探しをすることができるようになってしまいました。その粗探しにぼくたちは苦しんでいるんだと思います。

その苦しみから逃れるためには、この穴ぼこたちを見ても気にしないよう、心がけるのみです。

まずこの記事を読んでくださって、なんとなく、欲のせいで苦しみが発生していることがお分かりいただけたかと思います。

まずその正体が認識できればほぼ解決したようなものなのですが、その正体が見破れたのなら、それを気にしないようにすればいいだけです。

これは暇な自分が生み出した幻影で、それほど大した話ではない。だから無視しようと考えることができれば大丈夫です。

まあそんなこと言っても、死ぬことはない。そう言った心構えでいることが重要なのだと思います。

穴ぼこたちを埋めなくても、死ぬことはないという心構えで生きることが大事。

まとめ そんなに気にすることはない

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

どうしても人間は欲を欠いて、さらなる快感とか充足感を覚えようとしてしまいます。

そう言った欲の正体を見極め、それをしなくて死ぬことはないということが腑に落ちた時、ぐっと気持ちが楽になることと思います。

みなさんの心の持ちようが、この記事を読んで少しでも軽くなったのなら幸いです。

今日は以上になります、ありがとうございました。

タイトル「なぐさめる鴨」

そんな、気にするなよ。

そんな眼差しをしています

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