(137) 生きるとはどういうことか
みなさん、こんにちは。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日のタイトルは「生きるとはどういうことか」ということで、だいぶ壮大なタイトルになっています。
それにこのタイトルで、あの養老孟司さんが本を書かれているということで、恐れ多いですが、自分もこのテーマについて、記事を書いていきたいと思います。
この記事を読めば、生きることについて少し悩んでいたり、嫌になっていたりする気持ちが少しでも晴れるかもしれません。またモヤモヤしている心が少し晴れるかもしれません。
そういった効果があると期待しつつ、筆を取りたいと思います。それでは本編に入っていきます。
結論 生きるとは自己と他者とのせめぎ合い
先に結論から述べますと、ぼくは、生きるとは「自己と他者とのせめぎ合い」だと思っています。
ただこれだけだとよく意味がわからないと思いますので、説明をしていきます。
まず赤ちゃんを想像してください。赤ちゃんはある意味、究極のワガママ生物です。お腹が減ると泣く、おしめが気持ち悪かったら泣く、暑かったり寒かったりすると泣く。
もし赤ちゃんが、「今泣いたらママに迷惑かな、、、。もう少し我慢しようかな、、、。」
とは絶対に思いません。というよりもそんな余裕がないというのが本質でしょう。
自分では何もできないからこそ、精一杯自分の主張を通し、なんとか生き抜こうとする。弱者だからこそ、主張がものすごく激しいのです。
しかしそれも段々と成長するにつれ、おさまってきます。5歳くらいになって、あれもやりたい、これもやりたいと親に言うと、「我慢しなさい」「もう赤ちゃんじゃないんだから」と言って、なだめられます。
赤ちゃんだった時と比べて、何もかも自分の言うことにはならず、ここで他者とかその場所など、自分とは違う存在を感じ、それと適合して生きていくことを学びます。いわゆる「他者との協調」を学んでいくのです。
そこでは「我慢」や「忍耐」を学ぶ必要があります。自分の思い通りに行かずとも、グッとこらえて待てるかどうか。犬でも「待て」と言われたらしつけの仕方によってはグッと待つことができます。この忍耐を学んでいくのです。
そうして人間も成長していくわけですが、自分がやりたいと思うことと、そうはさせてくれない他者や環境とどう折り合いをつけていくかを学んでいくことこそが、生きることだとぼくは思います。
例えば王様になって、なんでも自分の思い通りにできてしまったとします。
美味しいものは食べ放題だし、お付きのものを連れてどこに出かけるのも自由、綺麗な人ははべらかし放題。誰もがうらやみそうな生活ですが、この生活は本当に幸せと言えるのでしょうか。きっと呼べないでしょう。
なぜならこの王様の生活はなんでもできてしまうがゆえ、困難がなく、達成感がないためです。のれんに腕押し、ぬかに釘のような感覚で、やってもやっても満たされることはありません。満腹中枢を壊されたように、いくら食べても満腹になることはありません。
やはり自分がやりたいと思う欲求があっても、なかなか実現せず苦労してなんとか実現する。そこにストーリがあるからこそ、できたことに達成感が生まれます。
最後に少しこの達成感について触れてから終わりたいと思います。
達成感を感じるやり方
達成感を感じるためにはステップは2つで終わります。それぞれとても当然なものです。
挑戦する
まず1つ目は挑戦することです。当然ですが、何事もチャレンジしてみないと、成功も失敗もしません。挑戦しないのに成功も失敗もないのです。
ですからまずは挑戦をしてみます。失敗するかもしれない、恥をかくかもしれない、リスクを伴うかもしれない。そんな不安や外的要素をよく鑑みながら、最後はエイっと飛び込んでみるその勇気。そのプロセスをまず踏むことです。
車のアクセルを踏み、動き出すのと一緒です、まずは歩き出さないと始まらないということなのです。
続ける
2つ目は続けることです。挑戦してやり始めたものの、そんなにすぐには結果が出ないことが多いです。半年なのか1年なのか、はたまた5年なのか10年なのか。その難易度が高ければ高いほど結果が出るまでに時間がかかります。
人間、結果が出ないとあきらめるのが普通です。なぜなら効率が悪いからです。例えばここに食べ物になる種があったとしてまいても全然成長しなかったとします。あんまりぐずぐずしているとお腹が減ってしまうので、そんな種の飼育に時間をかけるのはやめるでしょう。要は成果が出ないことに時間を使っていてももったいないので、本能的にはやめるのです。
しかし熱意や情熱、「絶対にやり切るんだ」という気持ちがあると続けることができます。そのためにも続けるためには熱意や情熱、それを続けるための思いが必要です。
この2つをやっていると必ず達成できます。いやいや、死ぬまでやっていても成功しないかもしれないじゃないかと思うかもしれません。ただこれは詐欺のようなものかもしれないのですが、もしずっと成功せず死んでしまったとしても、それは失敗ではありません。まだ成功していないだけです。あの世があるかわかりませんが、もしあったらそこでも続ければよいだけです。
それに何十年もやって達成できないことなんてないと思います。また適度に目標の微調整を測り、本当に自分のやりたいことを修正していくことも必要かと思います。
このように、自分のやりたいことを、周りとの協調を図りながら達成していく、それこそが生きることだとぼくは思います。
もしかすると、これを読んでいる方で、自分の思い通りに行かず、落ち込んでいる人もいるかもしれません。でも成功していない今、頑張っていることこそが生きていることだと思うのです。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。上下の波があるのが人生だとも思います。偉そうなことは言えませんが、いま、谷にいるのであれば、きっと山の頂上に行くこともあるはずです。気持ちを強く持って、自分のやりたいことを続けていただければと思いますし、ぼくも気持ちを持って、自分のやりたいことを続けていきたい思います。一緒にがんばりましょう。
今日は以上になります。ありがとうございました。
タイトル「燃え続ける気持ち」
焚き木を継ぎ足しながら、光を放ち続けましょう
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