(145) 危険とはなにか
今日もブログを読んでもらって、ありがとうございます。
今日は「危険」、つまりリスクとは何かと言うことについて、考えていきたいと思います。
一口に危険と言ってもさまざまな種類があります。また、本当はそこまで危険ではないのに、危険だと勘違いしてしまい、余計に気を遣って疲れてしまうケースも多々あるかと思います。
神経が尖っていて少し疲れている人の、なにか助けになれば嬉しいです。それでは行ってみましょう。
サバイバルでの5要素
先日ぼくは、インストラクターの方から、基礎サバイバル講座というものを受けてきました。
これは半日かけて、(ぼくの時はたまたまワンツーマンで)サバイバル知識を講義と実技で教えてもらえる講座です。
個人でやられている方で、申し込んでお金を支払って、受講をします。
その時に教えてもらったサバイバルの大事な5要素というものがありました。
それは、
- 空気
- 体温
- 水
- 火
- 食べ物
です。上から順に大事だというものです。
そしてのこの5つには「3の法則」というものが当てはまります。
- 空気 3分
- 体温 3時間
- 水 3日
- 火
- 食べ物 3週間
火だけは特別ですが、他の4つには3の法則が当てはまります。つまり、空気がないと3分で死んでしまう。また体温も急激な暑さ、寒さの環境では3時間持たない。水も3日間摂取できないと死んでしまう。食べ物も、3週間食べないと死んでしまうという法則です。
火は食べ物を食べたり、暖を取ったりなどするときに必要ですが、他の4要素があっても火がないとだんだんと孤独を感じ、精神に異常をきたしてしまうそうです。ですが、火が揺らめいているのを見ると、だんだんと精神が落ち着いていき、ストレス緩和につながるようです。ですから生きるためのツールという観点以外にも、精神的な支柱としても火は有効だそうです。
逆にいうと、この5つが揃っていれば、サバイバルできるということです。
今の生活はこの5要素が満たされている
そう考えると、今ぼくたちが暮らしているこの生活は、このサバイバル5要素がいつも満たされています。
空気は吸えますし、
衣類もありますし、雨風を凌ぐ家もあります。
水は蛇口をひねれば出てきますし、
ガスですぐ火はつきます。
そして食べ物も十分過ぎるほどあります。
サバイバル教室を受講すると、いかにこれら5つの要素を自力で生み出すことの難しさを痛感します。
空気は大丈夫ですが、家がないので、簡易シェルターを作る必要があります。
ぼくはこの写真のシェルターを作ったのですが、風も吹く中、立ち上げるのはなかなかに難しいです。それにこういったタープをくくりつけるためのロープワークを覚えないとうまくいかないので、そこでまず苦戦します。(当日まだ風は弱い方でしたので、これが強風になると更に難易度は高まったと思います)
水なんて、どこにもありません。濾過をする講義もありましたが、煮沸しないととても飲めないでしょう。また煮沸したとしても水銀などもう水に溶けてしまっているものは、煮沸しても取り除けません。今、普通に水を飲んで健康被害が出ていないのは、本当にすごいことなのだなと痛感しました。
火も、ガスコンロがないので、焚き木になんとか着火させて灯すしかありません。
食べ物の狩猟はさすがに講義にはありませんでしたが、魚を釣ったり、山菜を取ったりなどすれば、それはそれで狩猟に大きな工数がかかります。しかし今はスーパーやコンビニに行けばすぐに美味しい食べ物が手に入ります。
これを考えるとあれだけ一人で何も持たない状況だと大変だった、5要素を満たすことが、今の生活ではいとも簡単に実現できてしまっているのです。
それは本当に生きるために必要なことか?
ここでぼくの場合はある疑問が湧いてきました。今、自分が色々と抱えている悩みは、本当に生きる(サバイバル)する上で必要なことなのだろうかと。
もちろん子どもたちのこれからの教育も気になるし、
自分の好きなことをどう昇華させていくことにも課題はある。
仕事だって一生懸命やらないといけないし、
将来のことを考えなければいけない。
どれもこれも大事そうに見えますが、実はサバイバルの5要素がどれも入っていません。
確かに重要で大事なことなのだけれども、実は極論、生きることだけを考えれば必要のないことなのです。
教育も大事だが、それがなくても生きてはいける
自分の好きなことをすることは楽しいけど、やらなくても生きていける
仕事も大事だが他の仕事でも良い。
将来のことも大事だけど、正直将来どうなるかなんてわからない。
ぼくらは知らず知らずのうちに問題を肥大化させているのではないか、そんな気がするのです。
ですから、まずはこのサバイバル5要素を満たす。そして満たせているのであれば、他が満たせていなくても実は生きる上では問題ない。このことについて腑に落とすことができたことが、ぼくにとって非常に大事な経験になったなという実感です。
あまり気負いせず、まずは今生きていることに感謝する。やはりそういったミニマルな生き方が、非常に重要な気がしています。
危険だと思っているものも、サバイバルという観点では、全然危険ではない。危険とは自分で思い込むことによって、危険なものにしてしまっている。そんなふうに思うのです。
今日は以上です。
ありがとうございました。
「かもめのジョナサン」
彼はどこに行こうとしたのか。
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