(147) コンティンジェンシーとは、紐づけである

前回の記事で出てきた、「学習性無力感 パーソナル・コントロールの時代をひらく理論」にて、「随伴性」という言葉が出てくる。

随伴性とは

随伴性と書いて、ずいはんせい と読む。こんな単語、聞いたことある人の方が稀であろう。

「随」とは、したがう、なるがままに任せるという意味、

「伴」とは、一緒に物事をする、仲間にする、などという意味を持つ。

そして、「随伴」となれば、目上の人に供としてついていくことや、物事がある事柄に伴って起こるという意味になる。

図示するとこのような形か。

随伴性には三項随伴性というものもあり、この三項とは「Antecedent:先行刺激」、「Behavior:行動」、「Consequence:結果」を指す。

自分は心理学の専門家ではないので間違っている可能性が大いにあるのだが、例を自分なりに考えると、友達が前から歩いてくるのを見る(先行刺激)。それに対し手を振る(行動)。しかし無視されてしまった(結果)、となる。

図示すると以下のようになる。

そして無視をされた結果、「ああ、自分は相手から嫌われているんだ」と感じてしまったら、前からその友達が歩いて来る度に、嫌な気持ちになってしまう。それは過去のトラウマとまではいかないけれども、嫌な思い出から、前から友達が歩いてくるだけで嫌な気持ちになってしまったり、怖くなってしまうのだ。

この一連の流れのことを随伴性と呼ぶのだと思う。つまり、過去の経験から「次はこうなるだろう」という予想のことを指している。だから「随伴」、なにかが起こったことに起因して発生する事柄という意味があるのだと思う。

コンテンジェンシーとは

そしてなぜそもそも随伴性のことを書き始めたかというと、随伴性の元の英語はcontengencyとなっているのだが、このcontengency = 随伴性という訳にいまいちピンと来なかったからだ。

contengencyは日本のビジネスの中でも最近使われ、その際はコンテンジェンシーと呼ばれる。

コンテンジェンシーが使われる場合は、なにか緊急の事態や、予測できない事態に対し、あらかじめ対策を講じておくことを指す。BCPなどの言葉と意味が似ている。

そうなると、コンテンジェンシーの意味は「予防対策」というのが訳としては正しくなってくるのだが、それと随伴性がどうしても同じ意味だと理解できず、悶々としていた。

そもそもcontengencyとは、con(一緒に、2つの)+touch(触れる)から来ており、なにか二つのものが触れるという意味を持つ。

バラバラにある二つがお互い触れ合うのだから、なんとなくイメージはつくが、そのイメージの解釈が広すぎて、日本語訳しづらいという部分もあるのだろう。

そしてこのcontengencyには、「予防対策」と「随伴性」という翻訳がついている。これをどう解釈すれば良いのか。

それも今までの図を見ていくと、少しは理解できてくる。つまり先ほどの随伴性とは、なにかを起因として複数のことが連鎖していくようなイメージであった。坂の上から石を転がして、それが下にある石に当たって、雪崩のようにいくつもの石が落ちていくようなイメージか。これは随伴性のイメージである。

一方もう一つの「予防対策」については、よくコンテンジェンシープランとも呼ばれるが、これは有事の際に色々と発生するパターンをあらかじめ予測し、対策を講じておくことである。

そういった意味だと、ある事柄が発生し、それに起因してツリー状に派生していく物事に対し、対処を講じておくということだと、一連の流れのようなものは見えてくる。

そのため、「予防対策」と「随伴性」と聞くと、一見何の関係もなさそうだが、川の流れのように一連の流れと考えると、「予防対策」と「随伴性」も、あながち遠い関係にないのがわかってくる。

脳の中の紐づけをどう行っていくか

ここから重要なことで、人間はこの、Aが起きたから次はBが起こるだろうなという随伴性のクセを強く持っていると思う。

これはAだったらBという方程式をインプットしておくことで、いちいち計算することなく答えを導き出せる、脳の負荷を下げる機能を持っているからだ。

しかしこの方程式を誤っているケースが少なくないと思う。

先ほどの友達との例だって、もしかしたら友達は考え事をしていて手を振られたことに気付かなかったかもしれない。またテストで悪い点数を取って落ち込んでいただけかもしれない。

それなのに、一連の流れから、自分は嫌われているんだという考えに落着してしまっている。友達に手を振ったのに無視された → 自分は嫌われている、という紐づけをしてしまったのだ。

これで困るのが、今後いちいち友達と会うたびに、無視されるんじゃないかとビクビクしてしまうことにある。これでは外を歩いている時気が休まらなくなる。

先ほど書いたように、本当は違う理由でリアクションをしなかっただけかもしれない。それなのに誤った紐づけをしてそれで精神をすり減らすのは、実にもったいない。

いわゆる固定観念のようなものだが、この紐づけは一定間隔で、見直すべきだと、ぼくは思う。

参考文献

以上

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