(104) なぜ仕事をするのか

このテーマは定期的にぼくの中で上がってくる議題で、

なかなか最終結論が出ていない。

理由1 給料のため

まず一般的に、仕事をするのは給料をもらうためと答える人が多いのではないかと思う。

これはつまり給料を得て生きていくため、食っていくために働く(ここでは仕事をすると同義と捉える)と答える人が多いのではと思う。

理由2 自己実現のため

何か自分の好きなことがあって、それを実現させるために仕事をしているという人もいるだろう。

これは自分で起業して、独立してやっている人が多い印象がある。

仕事とは役割である

ただ、どれもぼくにはピンとこない。

生きていくため、自分のため、家族を養うため、人の役に立つため、社会のため、いろいろと理由は出てくるが、どれもそれぽいのだけれども、これだ!という感じがしない。

そもそも無人島で一人で生きていて、食べ物を取ったり、家を作ったりすることは、仕事とは呼ばないだろう。それは生きるためにやっている、サバイバル的な意味合いが強い。

また、これが2、3人のグループでもあまり仕事とは呼ばないだろう。

一人は漁をして、一人は家を作って、一人は料理をする分担とすれば、それぞれが役割で分割しているのであって、仕事をするというのは少し意味合い的には弱い印象が、ぼくにはある。

しかし、これが10人とか20人くらいのコミュニティになってくると話は違ってくる。

こうなると仕事は多様化してくる。

狩りをする人、衣服を作る人、畑を耕す人、水を汲みにいく人、役割が細分化されていく。

こうなるとその役割に紐づいたものは”仕事”となっていく。

これを考えていくと、ある一定数以上のコミュニティで作られる役割に紐づいたものが、仕事と言える。

そしてその仕事をすることが働くということになる。

だから、生きていくために、役割を遂行することが、仕事をするということなんだと思う。

役に立たないと、つまはじきにされるのか

例えば仕事をしていて、やらなきゃいけないと思うけど、疲れてできないという時があるとする。

この時はなぜやらなきゃいけないと思うのか。それは自分が課せられた役割がこなせないから、そのコミュニティからつまはじきにされることを恐れているのだと思う。

要は自分が役立たずだと、周りから思われるのを恐れているのだと思う。

それはなぜか。それは自分一人だと、生きていけないからだと思っているに違いない。

だが、果たしてそうなのか。自分一人では本当に生きていけないのだろうか。

一人では生きていけないのか

例えば今、無一文で、街に放たれたとする。そうしたら、生きていけるか?(衣服等は最低限持っているものとする。)

最初の1、2日間は、水道水で生きていけるだろう。しかし1週間も無一文で生きていけるかと言えば疑わしい。

しかしこれを書いていて思ったが、生きていけるのかではなく、生きていきたいのかという問題に帰結する気がしてきた。

人間の生きる力はすさまじい。生きようとする力は何よりも強い。逆に生きようとしなくなると、一気に人間は弱ってしまうと思う。それくらい生きようとする力は強い。要は意思の力である。

自分は生きたいのか。それは何のためなのか。それを自問していれば、おのずと答えが出てくる気がした。

生きていけるのかではなく、

生きていきたいか。

自問自答したい。

以上

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