(127) やらなきゃいけないより、やりたいことを。
やらなきゃいけないは、強制感がある
これはやらなきゃいけないと思って、やるのは苦痛だ。
あたかも、崖にいるのに、後ろからグイグイと押されているような雰囲気に似ている。
あと一歩で崖から落ちてしまう。そんな状況なのに後ろから背中を押されている。
昔、確か休日のお昼に、熱湯コマーシャルという番組がやられていた。
そこでは芸人の方が熱湯が入った湯船に浸かっている間だけ、出演者がCM(告知)をすることができるという番組であったように記憶している。
今思うと、なんとも斬新な企画だ。そこではいつもダチョウ倶楽部の御三方が出演され、上島竜兵さんの有名な「押すな押すな」で、結局ドボンと落とされる、あの芸が披露されていた。
まさにあれである。押されると熱湯にざぶん。なのに土門さんと肥後さんにぐいぐいと押される。あの感じに似ている。本当は熱湯に入りたくないのに、違う外部要素がその状況に追い込もうと力を入れてくる。それを必死に止めている。
そういえばあの番組は女性アイドルの生着替えもやっていた気がする。それを休日のお昼に放映するのだ。王様のブランチが見たら、腰を抜かすだろう。これも時代か。
やらなきゃいけないというのは本当はやりたくないのに、やらなきゃいけないそんな状況に追い込まれるものなのだ。
やりたいことには摩擦がない
一方、やりたいは、パン食い競争に似ている。
ぼくは足が超絶遅かった。クラスでドベか、ブービーだ。そんなぼくが少しでも足を速くするために編み出したのが、「ゴールの先に自分の好きなものを想像すること」だ。
今、編み出したと言ったが、もしかすると、友達がその秘訣を教えてくれたのかもしれない、いずれにせよ小学生の時の記憶だから曖昧だ。ともかく言いたいことは、50m走であれば、50mを走ることを目標にするのではなく、50mのゴールのその先に、例えばぼくはメロンが好きなのでそれがパン食い競争のように宙にぶら下がっており、それをガブリとするために走るというイメージだ。
これは幾分理に叶っていると思う。50mを走り切ろうとすると、どうしても50m少し前で「はあ、終わりだ」と思って少し気を抜いてしまう。しかしパン食い競争理論に基づくと、ゴールは50mより先に設定されているので、50m通過時にはまだトップスピードで駆け抜けることになる。そのため全体のタイムを縮むという目論見だ。
これで少しタイムは縮んだと思う。なにを言いたいかというと、「やりたい」という気持ちも、ゴールの先に自分の好きなものが置いてあり、それに引っ張られる感覚に似ているということなのだ。
だからぼくの50m走のタイムが縮んだように、ものすごいスピードで駆け抜けることができる。
これを図で示すとどうなるか。
やらなきゃいけないの場合だと、第三者が力を入れないといけないし、何より本人は動く気がないから、動かすのが大変である。
今ぼくの目の前にはコップが置いてあるが、コップの底には滑り止めのゴムが貼られいて、横にスライドさせようとしてもそのゴムが邪魔をして、横滑りしない。
このように力を込めても本体に動く気がないと、非常に動かすのに労力がかかるのである。
一方やりたいことであれば、その摩擦がない。自分から動くし、自分の意思で動いているから止まろうとする意思もない。ものすごくローコストで同じことができてしまうのである。
これだけ考えると、「やらなきゃいけないより、やりたいことをしよう」と簡単に言えてしまうことができる。それなのに、やりたいことばかりしている人は少ない。それはなぜなのか。
やったあとになにが生まれるか
結局は、やらなきゃいけなくてやった場合も、やりたくてやった場合も、何かをやるという結果がそこに発生する。
その結果が誰かの役に立つものであれば、当然求められることになるし、誰の役にも立たなかったら、そこに価値は発生しない。
要はやらなきゃいけないもやりたいも、結果に至るまでのプロセスであって、結果が重視されるのであれば、別にどっちであろうと問題はない。
例えば仕事である結果を生み出すために、誰かがイヤイヤやって生み出したものと、やりたくてできたものであっても、受け取った人が価値があると思えば重宝されるし、役に立たないと思われれば捨てられる。やりたいことばかりできないのは、それは誰かの役に立てていないということなのかもしれない。
逆にいうと、役に立つとか、価値が発生するという結果が出るのであれば、やりたいことでもいいのだ。それはプロセスの問題だから。だがこの役に立つというのがどうにも難しい。なぜなら役に立つかどうか判断するのは自分ではなく他人だから。しかし他人がどう思うかは実際のところはわからない。しかしそれでも笑顔を見せたりしたら、満足したのだなと推察することはできる。
結論、やらなきゃいけないと思ってやるより、やりたいことをやった方が効率がいいのは決まっている。ただし、それで誰かの役に立たなければ継続は難しい。役に立ったかどうかは受けての様子をよく観察するしかないと考える。
以上
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