(129) 適切な距離感について
最近は、対象との距離感について、考えている。
それはストレスとか形を持たないものからもしれないし、
他人という実体を持つものかもしれない。
はたまた恐怖とかいうこれも形のないものかもしれない。
うまく表現できないが、そういう”何か”と対峙するときの距離感の取り方が
非常に重要なのではないかと思っている。
例えば、何か不安なことがあったとする。それが現実化したら嫌だ。
また、これから襲ってくるであろう困難に辟易しているかもしれない。
こういった嫌なことと対峙する時は、えてしてストレスが溜まるものだ。
不安なことが現実になったらどうしよう、嫌だな。おそらく過去に現実化した思い出が残っていて、それがトラウマになっているのだと思う。
こういう時は、その不安に非常に近くにいるイメージが、ぼくの中にはある。
だからそういう時は、一旦距離を置く。
物理の現実世界でも、嫌な人がいれば、その人には近づかないはずだ。
そういう時は自然と離れていくものだ。
それと同じで、不安や恐怖などを感じたら、近くにいるより、適切な距離を保つ。それはある意味客観視にも繋がる。例えば今スマホが目の前にあるならそれを目の前にかざして欲しい。目と鼻の先までだ。するとスマホがボケてよく見えないはずだ。
そして30cmくらい離して見ると、その実態がよく観察できるはずだ。
このようにその正体を見破るためには、真前にいてはわからないことが多い。わからないものには人間、本能として不安を覚える。視覚や聴覚を持って、それがなんであるかの正体を見破らないと、不安で仕方なくなるのだ。
ただそれには近くにいても全貌は見えない。少し距離を持つことで対象を俯瞰できるところまで一旦下がるのだ。
これは実在の世界だけでなく、ストレスや不安など目に見えないものに対しても有効だ。
要は相手と適切な距離を持ち、相手を俯瞰できるようになれば、その不安はなくなるということなのだ。
以上
こちらの写真も近くにいては6体のお地蔵さんを画角に収めることができず、全貌を伝えられない。
距離をとって引いて撮ることで、全貌を伝えることができた。
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