2.3章 何でも人のせいにしてしまう、ガイマ

この物語は、ある小さな村にある、ダンケ学校での、教師ケイと、生徒10人によるやり取りを記録したものである。

何でも人のせいにしてしまう

ガイマは他責思考の強い男の子であった。なんでもかんでも人やもののせいにしてしまう傾向があった。

なぜ今日は遅刻したのか、と聞くと、昨日母親に勉強させられて寝るのが遅くなったと言う。

どうして宿題を忘れたのか、と聞くと他に考え事をしていたから、と言う。

ああいえばこう言うではないが、素直に自分の非を認め、謝るということをしない。それはよくないことではないかとケイは思い、放課後にガイマと話すことにした。

他責思考と自責思考

「ガイマ、今日呼んだのは他でもないんだけど、、、君の態度についての話なんだ」

「態度?何か僕に文句があるっていうこと?」

すでにガイマはケンカ腰だ。切り出し方が良くなかったか。ケイは反省しつつも言葉を続けた。

「そう、態度だ。君は注意されても、自分のせいにせずに、他のことの責任にするだろう。お母さんのせいとか友達のせいとか。あれはよくないと思うな。まずは謝るということをした方が、君にとってもいいことだと思うよ」

それに対しガイマはケイに向かってこう言った。

「それはケイ先生の感想でしょ?僕は本当にそう思っているから言っているだけで、勝手に僕の責任にしないでほしいな」

聞く耳持たずである。少し説教ぽいのがよくなかったかと反省していると、助け舟を出すかのように、ある生徒が放課後の教室に入ってきた。

「あ、ごめんなさい・・・。教科書を机に忘れてしまって、取りに来たんですが」

そう言って教室に入ってきたのは、スイスイであった。

スイスイはまさにガイマと真逆の性格をしていた。何でも自分のせいにしてしまう。そして他人を責めることがない。真逆の二人が同じ空間にいることが、ケイにとっては不思議に思えた。

「おい、聞いてくれよ、スイスイ。先生から自分勝手はやめろって注意されてるんだよ」

ガイマはスイスイに愚痴をこぼした。そうなんだとスイスイは笑顔を作ってガイマに応対していた。

「どう思う?先生の言うとおり、スイスイも僕のこと、自分勝手だと思う?」

スイスイはうーんと考えながらポツリポツリと話し始めた。

「私はガイマ君のこと、そんなに自分勝手だとは思わないけど・・・。でも」

「でも?」

てっきり100%同意してくれると思っていたガイマは、逆接の言葉が出てきて、少し驚いて聞いた。

「これは自分に原因があるかもなって考えることは、少し辛いけど、大事なことだと思うな・・・。あんまり自分のせいにしすぎてしまうと疲れちゃうからやめた方がいいと思うんだけど、自分に責任があるって思うと、自分が主体になるっていうか・・・」

「しゅたい・・・・?スイスイの話は難しいなぁ。もっとわかりやすく説明してくれよ」

閉口するガイマに、苦笑いをしながらスイスイは話を続けた。

「つまり・・・そうだなあ、例えば、今日は外で遊ぼうって思っていたのに雨が降ってきたら、ガイマ君はどう思う?」

「そりゃあ、雨のせいにするさ。なんでこんな日に限って雨なんか降るんだって、むかっとしてそう言うだろうな」

ガイマはそんな時の場合を想像しながら、スイスイに答えた。

「やっぱりそうなるよね。雨が悪いんだってそう思うよね。でも結構私は、鈍感でおっとりしているからだと思うけど、雨は雨で悪くないなぁって思うんだよね。雨だったらあんまり人が外に出ないから、ごみごみしていないし、雨が降るから飲み水が確保できるわけだし」

「スイスイは人がいいなぁ。僕にはそんな受け取り方はできないよ」

ガイマはそう言うと天を仰いだ。

ケイは二人の話を聞きながら考えた。スイスイは何事も自分を主体に考えている。周りの状況に対し自分がどのように行動できるかと言うことで、ある意味自分を中心に回っている。ただそれが全面的に良いかというとそうではなく、自分中心でいるからこそ、すべての周りの出来事の原因を自分に持ってきてしまい、辛くなることもあると自覚しているようだ。

一方ガイマは物事が中心にあって、自分が蚊帳の外にいる。周りの状況に対して自分は何の影響力を持たないと、匙を投げてしまっているようだ。これも一見悪いように見えるが、すべての責任を他者に任せることで、自分の責任は持たずに済む。2つの考え方は対照的だが、一長一短あるなとケイは思った。

どちらが良いというわけではない

「僕は二人の考え、どちらも良いと思うな。ただこの世の中には”中庸”と言う言葉があってね、先生はその言葉が好きなんだが」

「ちゅうよう?それどういう意味なの?」

興味を持ってガイマが質問してきた。

「要はAでもなくBでもなく、その中間あたりといった感じかな。スイスイみたいに自分のせいにして責任感持って動くこともいいと思うけど、やりすぎると自分が辛くなってしまうよね。

逆にガイマのようにあんまり自分のせいにしないと楽かもしれないけど、そうだと周りを自分の力によって変えていくのは難しいかもしれない」

少し厳しい言い方かなと思いつつ、ケイは話を続けた。

「だから、ガイマみたいな考え方と、スイスイみたいな考え方、これをミックスして中間あたりを取るっていうのはいいかもしれないね。自分のせいにしがちだなと思う人は時には自分を許し、周りに身を委ねてみるとか、一方いつも周りのせいにしてしまいがちな人は、自分に何ができるかを考えてみるとか。まあただ中庸の思考は個人の特性を無くすことにもなるから、これも一概にいいとは言えないんだけどね」

「ふーん、中庸ね。要は自分とは反対の意見も時には受け入れてみるっていうことね」

ガイマは予想以上に話を聞き入れて納得してくれたようだ。

「スイスイ、ありがとう。君のおかげで話が進んだよ」

ケイはスイスイにお礼を言った。

「いえ、そんな・・・。でもケイ先生の言うように、私もあんまり自分のせいばっかりにしないで、もっと楽に生きようってそう思えました。ありがとうございます」

よかった、とケイは言って、その日三人は別れた。

どっちがいいとか悪いとか、100%白黒つけられることはこの世にはないんじゃないかと、ケイは常日頃考えていた。重要なのは、あまり極端になりすぎず、その両端を行ったり来たり、ゆらゆらゆらめくことが大事なんじゃないかと言う仮説が、ケイの中では出来上がりつつあった。

以上

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