やりたくないことは、やってはいけない

いろいろと、タイトルをどうしようかと考えていたら、なんともフツーなものになってしまいました(笑)

「やりたくないことは、やらない」

とてもシンプルで、誰に聞いても「うん、そりゃそうだよね」という回答が返ってきそうな気がします。

ただ、そうだよね、という肯定の後に、「そうは言っても、やらなくちゃいけないことはしなきゃね」という条件が付いてくることが多いと思います。

なぜやりたいことをやるだけではダメなのか、やらなくちゃいけないものとはなんなのかについて、今日は考えて行きたいと思います。

やらなきゃいけないことはなにか。それは自分にとってデメリットがあるもの。

そもそもこの「やらなきゃいけないことは、やらないとね」という条件は、何者なのでしょうか。

これは「やらなきゃいけないことはやらないとね、そうしないと悪いことが起きるよ」の、短縮形だと考えています。

つまり、マストでやらないといけないことを放り投げておくと、あとで悪いことが起きるということなのです。

これを象徴するのが、「アリとキリギリス」でしょう。

毎日働くアリを尻目に、いつも遊んでばかりいるキリギリス。ラストのパターンはいくつかありますが、一番有名なのは、冬になって遊んでばかりいて冬のために食べ物を貯めておかなかったキリギリスは、死んでしまうというものでしょう。

このストーリーを聞いた子どもは、「そうか、遊んでばかりいると悪いことが起きるんだ。だから毎日ちゃんと勉強しよう」とか思うわけです。

デメリットばかり見ていて良いのか

ぼくには2人の子どもがいますが、親である自分のいうことを聞いてくれると、本当に助かります。逆に子どもが自分のやりたいことしか主張せず、わがままを言い始めると、お手上げです。これを収拾するのには、とても労力がかかります。

だから、このアリとキリギリスの話を聞いて、自制することを覚えてくれると、親としては助かるなという思いがあります。

ただ、これでいいのかと思う節もあります。
これは、あとで悪いことが起きるというホラーストーリーを子どもに聞かすことによって、その行動を抑制するもののように見えます。

最近は親から子どもへの体罰の目が厳しくなり、怒鳴りつけることも、基本的にはしないというのが通説になっているのかと思います。

この体罰や怒鳴ることは、何か相手にダメージを与える行為です。怒鳴ることは「自分は怒っているんだ、直さないと何か罰を与えるぞ」というメッセージを、語気を強めることによって相手に伝える行為だと思います。

このように、罰(相手にダメージを与える行為)をされたくないのなら、ちゃんといい子でいなさいというのは、交換行為だと思います。罰を与えられたくなかったら、いうことを聞く。子どもとしては、罰と、自分のやりたいことを天秤にかけ、罰の方が厳しそうだから、我慢するわけです。

別にこの「罰を与える行為」が悪いとは思いません。天秤にかける行為は誰しもが無意識も含めてやっているわけで、マイナスの方が大きいのか、はたまたプラスの方が大きのかを天秤にかけて、より自分にとってメリットが大きい方を選んでいるのでしょう。これは普通の行為です。

しかし、これも度が過ぎると、ストレスになってきます。下の図を見てください。

罰を受けることと、いうことを聞くことを天秤にかけ、罰を受ける方が自分にデメリットが大きそうなので、いうことを聞く。本当はやりたいことがあるのにです。本当はやりたいことがあるのに、メリット・デメリットを考えて、選択する行為を”我慢”と定義づけています。それを説明している図です。

これは一見「まあ、確かにそうだよな」と腑に落ちるかもしれませんが、実は決定的にマズい点があります。それは自分のやりたいことができていない、という点です。

デメリットばかり見ていると、自分のやりたいことができなくなる

これは、我慢している限り、永久に自分のやりたいことができないということになります。だから我慢して自分の欲求を満たせてあげてないと、段々と元気がなくなってしまうわけです。

ではこれを解決するためには何が必要か、すでにお分かりですね。そうです、自分のやりたいことをやるのです。

自分のやりたいことは少しでもいいからやる。ゼロにしない

「そんなのできるんだったらすでにやってるよ!」と言う方もいらっしゃるかもしれません。

これはすぐに全部やろうと言っているわけではなく、少しでもいいから徐々にやってみようという方法です。

ゼロでない限り、0.01でもいいからやってみる。ゼロはいくら掛けてもゼロですが、0.01は100回やったら1になります。いつかはできると思える希望があるかどうかが重要なのです。

まとめ

ここまでのことをまとめます。

やりたくないことを我慢してやっていると元気がなくなってくる。それは本当は自分のしたいことができてないから。そのため、自分のやりたいことを少しずつでもいいからやってみませんかと言う話をしました。

タイトルで書いた「やりたくないことは、やらない」というのは、かなり極論です。しかし、理想はこの状態になることなのではないかと思います。自分のやりたいことをやる、これを目標にしておいて、我慢するところはどんどん減らしていく。それがぼくが思う、より良い人生につながると思います。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

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