ドラクエ写真道6 善と悪? 写真の良し悪しについて

今回もブログを読んでくれて、ありがとうございます。

ドラクエのおもしろさと写真のおもしろさを掛け合わせて書いている、ドラクエ写真道。

今回はドラクエ4を取り上げたいと思います。

ドラクエ4:AI行動、オムニバス形式

ファミリーコンピュータで発売された際は、なんとその時代には超珍しいAI機能搭載。

戦闘時、主人公が発した命令(ガンガンいこうぜ、や、みんながんばれなど)をAIがうまく察知し、その命令に沿った行動をしてくれるという画期的なシステムが導入されました。

また章ごとに主人公が変わるというオムニバス形式の進め方も斬新でした。

ドラクエ4 スマホ版。命令の特徴に沿って、仲間が自動で行動してくれる。

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しかし個人的にはドラクエ4のおもしろさは、そのストーリにあると思います。

詳しくはネタバレになるので避けますが、敵である魔王は大事な人が人間に傷つけられたことをきっかけに、強く人間を憎むようになります。そして人間を滅ぼそうとしてしまうのです。

それに対し勇者たちがパーティを組んで魔王を倒すのですが、ここで自分は疑問を持ってしまいます。

「別に魔王が絶対的に悪いとは言えないのではないか・・・」と。

本当に魔王は「悪い」のか

ドラクエ4の魔王は私利私欲のために人間を滅ぼそうとしているのではありません。

ある意味、大切な人を傷つけられた復讐として、人間を滅ぼそうとしているのです。

ここには魔王なりの正当な理由があります。

その理由のために滅ぼすという行動を取ったことに是非はありますが、魔王は魔王なりに筋は通っている理由を持って、人間を滅ぼしにかかってきているのです。

それに対しもちろん滅ぼされたくない人間は抵抗するわけですが、これは正当防衛です。魔物たちが攻撃してくるからそれに対抗しているだけ。別にそこに悪意はありません。

こう考えていくと、もし魔王も、大切な人が人間に傷つけられなかったら、人間を滅ぼそうとは思わなかったかもしれません。

人間と魔物、お互いなりのそれぞれ戦う理由がある。別にどっちの言っていることも間違ってはいないと思うのです。

写真の良し悪しについて

ここで写真について考えてみたいと思います。

写真の良い、悪いとはなんだと思いますか?

良い写真、悪い写真。そこの境目はどこにあるんでしょう。

良い写真とは上手い写真とも呼ばれると思います。そして上手い写真とは目的に合致しているものだと思うのです。

例えば目の前にある水筒の写真を撮ろうと思った時、こんなふうに撮ると思います。

しかし例えばこんなふうに撮ってしまったとしたらどうでしょう。

傾いているし全体は写っていないしで、「失敗写真」ですよね。

前者と後者であれば、前者の方が上手い写真となると思います。(かなり極端ですが)

これは何が違っているかというと、先ほど書いた「目的に合致しているか」です。

ここでいう目的とは、水筒の写真を撮ることです。

しかし2枚目の写真は水筒の全体像が見えず、しかも傾いており見づらいです。この写真は目的に合致していません。

だから上手い写真ではなく下手な写真だと認識されるのだと思います。

ロラン・バルト 「明るい部屋」

哲学者であるロラン・バルトという人がいて、「明るい部屋」という書籍で、写真について語っています。

その中で、写真には2種類あり、「ステュデュウム」と「プンクトゥム」と言われるものです。

ステュデュウムは一般的に人が見て認識できるもの、つまり見たことがあるものですね。机とか椅子とか家とか。「ああ、この写真はこれを撮っているのね」と共通認識として捉えられるものです。

一方、プンクトゥムとは撮影者くらいしか、その写真の意味を理解できないものです。知る人ぞ知ると言いましょうか。何が撮ってあるかよくわからないんだけれども、見る人が見ると非常に興味がそそられるといったマニアックなものです。

この言葉を聞いてよく思うのですが、写真の良し悪しもこの「ステュデュウム」と「プンクトゥム」に通ずるものがある気がします。

おそらくステュデュウム的な写真の方が大衆に受けるしいいのでしょう。しかし撮影という主観的な行為を続けるとどうしてもプンクトゥム的な写真も出てきます。

一見何を撮ったかよくわからない意味不明なもの。人はそれをよくわからないとか下手な写真と呼ぶのでしょう。

しかしそういったよくわからなくて一見下手なプンクトゥム的な写真も大いに良いと思うのです。

なんだか最近は特に「これはいいもの、悪いもの」というのが画一的に統一されているような気がします。

そうではなくて別に亜流で変なものがあってもいい。ほんの一握りの人、もしくは撮影者一人だけかもしれない、その写真の良さを感じることができるのは。

でもドラクエ4の人間と魔物みたいに、お互いの正論だけ唱えて自分では理解できないプンクトゥム的な要素を省くのはいかがなものかと思うのです。

そんなプンクトゥムを含めて人間らしさのようなものが生まれてくる気がします。

ちょっと抽象的な話になってしまいましたが、今回は以上となります。

お読みいただき、ありがとうございました。

そんな筆者が販売している写真たち

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