(50) ”やいこと” と、どう付き合っていけばいいのか
このブログを始めて50回の投稿を迎えた。
1つ前のブログでも60個くらい記事を書いたから、合計100回くらい、生きることなどについて、悶々と記事を書き続けているわけである。
開始当初は2年か3年前だったから、昔よりは考えが研がれてきた感じはある。
そして考えることにも傾向があることにも気がついてきた。
このことはよく悩むなという感じである。
その悩みのベスト3にいつもランクインしてくる悩みがある。それは「やらなきゃいけない」という考えである。
本当はやらなくちゃいけない、でもやりたくない。本当は違うことをしたい。でもやらなきゃいけないことをやらないと、後でまずいことが起きる。だからやらなくちゃいけないという思考回路である。
この状態になると本当に効率が悪くて、やらなきゃいけないことはぐずぐずとしてやらないし、時間は過ぎて状況は悪化するし、かといって本当にやりたいこともできていないわけで、本当に意味がないし効率が悪いと思う。
ではどうすればいいか。まずは思い切ってそのやらなきゃいけないことをやってしまうのも手である。
ただ「やらなきゃいけないこと」という字をタイピングするのが疲れてきたので、やらなきゃいけないこと、略して、「やいこと」とこれからは呼んでいく。
このやいことは本当に扱いが難しい。本当はやりたくない気持ちと、やる気持ちが拮抗している。中国の昔話で、自分の息子だと主張する二人の母親が、子どもの手をお互い引っ張って、それが痛くて子どもが泣く。泣いた子をみて思わず一人の母親が手を離す。もう一人の母親が自分の子だと主張するのですが、それを見ていた王様が、手を離した母親が、本当の母親だという。なぜなら子どもが痛がる様子を見てそれを可哀想と思うのが本当の母親だというのである。
この情景と似ている気がする。他のことをやりたい気持ち、対してやいことをやらなきゃいけないと思う気持ちその二つが逆方向に向いていて、自分という気持ちを引き裂いてしまうのである。
これは非常に辛い。ではどうすればいいか。方法は1つ。ひっぱり合う手を離さなければならない。他のことをやりたい気持ち、これをやらなきゃいけないと思う気持ち。両方を「捨てる」のである。
そうすることで、当然ながら体は引っ張られることがなくなる。簡単な話である。どうすればいいのか。それは2つのやりたい気持ちを捨てるのである。
別に他のやりたいことをやらなくても死ぬわけではない。
逆に、やらなきゃいけなことをやらなくても死ぬわけではない。(本当にやらなきゃいけないことは、反射的に体が既に反応して、やっている)
この「捨」という字の字源は、グッと握りしめた手を、フワッと開く情景を表している。握りしめてこわばった手を緩めてあげるのである。
捨てる、諦めるなど、こういったワードが、ぼくのこれからの人生において、非常に重要なキーワードになっていると思う。
これはネガティブなワードではない。自分を許す、許しのワードなのだと思う。
以上。
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