歴史(5)アメリカとロシア

アメリカ

アメリカ独立まで

まず大航海時代で、コロンブスがアメリカ大陸を発見したところから、世界史では始まる。

またアメリカといえば、まず、イギリスにいたピューリタンたち(ピルグリムファーザーズ)が、メイフラワー号と言う船に乗り、アメリカに渡ったのが有名だ。

簡単に言えば、イギリスでいづらくなった人たちが、アメリカへ自分たちの国を探しに行ったわけだ。

そして彼が自分たちの国をアメリカで作った。まずは13の植民地を作った。

ただイギリスからの支援は必要で、独立はしておらず、植民地という従属の関係だ。

そこに重税をかけられてそれに反抗して戦いが始まる。(アメリカ独立戦争1775〜1783年) きっかけはボストン茶会事件。

そのアメリカを支援するフランス。イギリスVSアメリカ+フランス。アメリカ独立宣言は1776年。

その後、アメリカ中部の獲得や米英戦争、メキシコとの争いがあり、アメリカ国土の覇権争いが続く。

南北戦争(1861〜65)

ようやくアメリカ国土が今の形に似てきた時に、アメリカの北と南で考え方が変わってくる。

その考え方とは、奴隷に対するものだ。

ずっと奴隷を使って国土を耕してきたアメリカ。しかしキリスト教などの教えでは、人は神の前で平等と言っている。しかし白人と黒人でこんなにも待遇が違う。果たしてこれでいいのか・・・。

そのように北部の人たちは思う。しかし南部の人たちの方が、農業大国で奴隷は必需品だった。だからその奴隷制の廃止にはどうしても賛成できなかった。

そして南北で争いが起きてしまうのだが、そこで出てきたのがリンカーン。「人民の人民による人民のための政治」というフレーズはあまりにも有名。本当は人道的な意味の他に、政敵を倒すためが本当の理由らしいが、奴隷解放をうまく政治に盛り込み、人気を獲得、大統領に。

奴隷解放宣言を出すもすぐ暗殺されてしまう。

これが建国から奴隷解放までの流れである。

ロシア

一方大国ロシアはどうだったのであろう。ロシアはずっと凍らない港が欲しかった。(不凍港)

それを獲得するために、日本にも進出。日露戦争に発展する。(南下政策)

日露戦争に、日本は勝利する。しかし賠償金がほとんど取れなかったため本当に勝利したと言えるのかとか、アメリカが間に入って講和に結びつけてなかったら、日本が負けたいたなど、はたまた日本が危機迫っていたからとんでもない力が出たなど、説はたくさん出ている。

しかしえてしていえることは、楽勝ではなく辛勝であったということであろう。ただこれもあり、アジア諸国の勢いをつけさせたことも言えるのではないかと思う。

この前後、ロシアでは日露戦争に反対するデモ勢をニコライ2世が虐殺する「血の日曜日事件」が起きたりとか、そこに取り入ろうとするラスプーチンという人物。その前くらいにはエカテリーナ2世がうまく政治を主導していた。

こうして2大大国が動きを見せる中、第1次世界大戦に入っていく。

そこからはまた次回。

以上

by
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です