歴史(6)第一次世界大戦
ロシアの動き
凍らない港が欲しかったロシアは、その港を求めて日本にまで進出してくる。
そこで日露戦争が勃発。しかし日本に勝つことができず、不凍港の入手は叶わなかった。
そしてまた大陸の方の南下政策を実施。そこでドイツとの対立を深める結果となる。
サラエボ事件
そこで教科書にもよく載っている、サラエボ事件が起きる。オーストリアの皇太子夫妻を、オーストリアと仲の悪かったセルビアの青年が暗殺してしまうという事件だ。
ここでオーストリアとセルビアとの戦争が勃発。オーストリアと仲の良かったドイツも参戦。そして不凍港の入手を巡ってドイツとの仲が悪くなっていたロシアが参戦。
フランスはドイツと仲が悪かった。これは普仏戦争でナポレオン三世がドイツの捕虜になったことで、そのことを恨んでいた。
そしてイギリスとフランスは当時アフリカ大陸の覇権争いをしていたのだが、ドイツに復讐したいフランスからすると、イギリスと今争っている場合ではないと判断し、フランスーイギリスで組むことに。
イタリアはドイツと仲が良かったため、ドイツ側に。
こうして、ドイツ・オーストリア・イタリア軍の三国同盟と、
ロシア・イギリス・フランス軍の三国協商とで分かれて戦うことに。
こうして次から次にと国が参戦してしまい、世界的な戦争、第一次世界大戦が勃発してしまうこととなる。
緑線:三国協商
オレンジ線:三国同盟
寝返りと参戦、退場
こうして始まった第一次世界大戦だが、途中3つのポイントがあり、状況は変わってくる。
- イタリアの寝返り:
三国同盟側だったイタリアだが、途中、三国協商側に寝返ってしまう。こうして3対3が4対2になってしまう。 - アメリカの参戦:
焦ったのか、ドイツ軍が通りがかったアメリカ戦艦を攻撃してしまい、アメリカの怒りを買う。
アメリカは遠くからイギリス・フランスに武器を売ったりして稼いでいたが、彼らが負けてしまうと大事な顧客を失うことになる。それもあり三国協商側に参戦することになる。 - ロシアの退場:
なんとロシアでは国内で革命が起きてしまい、レーニンが社会主義国家を作ってしまう。そんな内部がゴタゴタしている中、外国と戦争している暇はない。ということで、一人、戦争から降りてしまう。これはアメリカが参戦する少し前の時系列となる。
この3つがあり、結局ドイツが負けるという結果となり多額の賠償金を払わされることになる。これが払い終わったのがつい最近。2009年とか2010年というのだから驚きである。第一次世界大戦が1914年頃の話なので、100年近く賠償金を払わさられたことになる。恐ろしい話である。
苦しくなったドイツだが、ここからヒトラーが生まれ、第二次世界大戦に繋がってしまうわけだが、次回にそこは書くこととする。
※この世界史の記述は、ぼくが個人的に調べ、それをただまとめているだけのため、教科書の内容などとは違っている点も複数あると思う。そういった気付いた箇所があれば、コメントいただけると幸いである。
以上
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