歴史(1) 紀元前〜紀元後の少し後まで

ぼくは世界史が好きで、大人になってから、本やYoutubeで独学で勉強している。

また、写真が好きなのだが、写真家の渡部さとるさんが行われているオンラインの「美術史講座」も参加させていただいている。

それらを統合し、自分としては、そらで、有史から現在までの世界史情勢を一気通貫して説明することを目的としている。それの一環として自分の知識を文字に起こしてみることにした。

なにぶん独学ということもあるし、結構世界史の情報については人によって見解が所々あるので、何が正しいというのは難しいかもしれない。もしここは明らかに違うのではないかということがあれば、ご指摘いただけると幸いである。

今回第1回目として、紀元前・後の切り替わりまでを、自分の頭の整理のために書き起こしていきたいと思う。

人類の誕生

まずよく言われる宇宙の誕生だが、これは140億年前とも言われている。

そして地球が誕生したのが46億年前くらい。そこから海ができて、単細胞生物ができて、それらが陸に上がって、恐竜が生まれたのが2億年前くらい。そこから絶滅して昔教科書で習った、アウストラロピテクスが誕生するのが140万年前くらいになってくる。そして人類の祖先であるホモサピエンスが生まれるのが30万年前くらいとなってくる。

そこから狩りの時代が続き、氷河期なども続いて、寒い時代が続くが、1万年前くらいになると、氷河期が終わり、牧畜、農耕ができる時代になってきて、集団で暮らす生活が生まれてくるようになる。

4大文明

そして3000〜2000年前くらいになると、その時の赤道付近の特に暖かい地帯で、文明が発達する。これらが西から言うと、「エジプト文明」、「メソポタミア文明」、「インダス文明」、「黄河文明」だ。それぞれ川が近くにあったことが発展の理由として大きい。エジプトはナイル川、メソポタミアはチグリスとユーフラテス川、インダスはインダス川、黄河はそのまま黄河である。雨季になると水かさが増し川が氾濫してしまうのだが、それで一旦土地がリセットされ、また農耕するのに適した土地に生まれ変わる。それがあって農耕が盛んで人口も増え、文明が発展していった。

ギリシア文明

ヨーロッパに目を向けてみよう。ヨーロッパでは、「インド・ヨーロッパ語族」と言うのが今のロシアら辺から色々な地域に派生していった。

その中で、地中海付近に移り住んで小さな都市国家を作っていった。これを「ポリス」と言い、それらの集合体をギリシアと呼んだ。

ギリシアには2大ポリスが誕生する。一つはアテネ、もう1つはスパルタである。最初この2国は協力し、東から攻めてくるペルシアという国と戦っていた(ペルシア戦争、BC500~449)。そこでなんとか撃退したのだが、そうなるとアテネとスパルタでどちらがギリシアのNo.1かみたいなイザコザが発生してしまい、戦争(ペロポネソス戦争、BC431~404)になってしまう。

そのお互い疲弊しているところに、マケドニアという国が攻めてきて、やられてしまうのだ。

マケドニアの時代

ギリシアの北方にあったマケドニアは上記のようにギリシアを制圧、そしてアレクサンドロス大王の時代に、栄華を極めるが、東方まで遠征した時に熱病にかかって30代の若さで死んでしまう。それで後継者争いが発生し、弱体化する。

ローマの時代

そんな中、台頭していったのがローマだ。ローマは市民政治を行い、18歳以上の男子にはなんと選挙権が与えられていた。

ローマは敵国を倒すと奴隷を獲得し働かせていたので、自分たちは何もしなくてもよく、非常に裕福であった。哲学も栄え、ソクラテス、プラトン、アリストテレスらもこの時代である。

BC509年頃は、共和制ローマといい、カエサル、ブルータス、五賢帝時代と平和な統治が続いたが、
BC27年頃には帝政といって皇帝が一番えらい時代となってしまった。

皇帝のオクタビアヌスという人が出てきて、神のように崇めよとおふれを出すのだが、それに抵抗する人が出てくる。それがイエスである。イエスはユダヤ教の出身だが、拝むのは神だけなのに人間である皇帝を拝むのを徹底的に拒否。イエスの信者も多かったが、それらの人も肯定崇拝を拒否したため、弾圧。

しかしなかなかイエスの一派は根絶できない。牢屋に入れて囚人たちをイエスの教えに帰依させてしまう。

ずっと弾圧を続けてきた国側も、逆にこのイエスの教え、キリスト教を上手く利用できないかと考える。そしてなんと国の国教にしてしまう。(392年) これはローマが領土を拡大するにつれ、多人種・多宗教になってまとまりがつかなくなってしまった。それをまとめるために当時はまだ新興宗教でまだ扱いやすかったキリスト教を国教にし、国をまとめようとしたのである。

弾圧されていたのが、国のデファクトスタンダードになってしまうとは、世の中何が起きるかわからない。

それでもローマは大きすぎて体制を維持するのが難しくなってきた。そのため東と西でローマを分けることにした。(西ローマと東ローマ)

このときキリスト教は大きな力を持ち、バチカンという宗教集団を作り上げた。そこでトップを教皇とし、その後かなり長い期間、力を持つこととなる。

ここからまた北方から、ゲルマン人というのが大移動してきて、ギリシア、古代ローマの時代は終わりを迎えるのだが、それはまた次回に書くこととする。

以上

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