自分に点数をつけるのはやめた

みなさん、こんにちは。

先日息子の目が充血したので、小児科へ行ったのですが、帰りに薬局で目薬をもらった時にこんな話をしてもらいました。

なんと目薬の消費期限は1ヶ月らしいのです。もちろん市販されているものはもっと期限を延ばせるように、色々な薬を配合しているのかもしれませんが、処方してもらった目薬は1ヶ月が使用の限度らしいです。

ぼくは花粉用の市販の目薬を持っていたのですが、昨年買って封を開けてから今年も使い続けていました。もう慌てて捨てましたよね(笑)

さて、今回の話は、「自分への評価」についてになります。いわゆる自己肯定感だったり、なかなか自分を褒めてあげられずに苦しんでいる人の、もしかしたら参考になるかもしれませんので、気になる方はお読みいただければと思います。

自分への好意度について:そこまで高くない

まず冒頭お聞きしたいのですが、あなたは自分のことが好きでしょうか。

ぼくは、あまり自分のことが嫌いとまでは行きませんが、「もう大好き、自分は100点満点だ」というところまでは、なかなか思えません。

なぜなら自分には欠点がたくさんあると思っているからです。昔から運動神経が悪く、足も遅かったです。

鼻の穴が大きくて、子供の頃はよくそれでからかわれました。

勇気がなく、なかなか自分の思ったことを発言できません。

数え上げたらキリがないのでこの辺でやめておきますが、欠点なんて挙げたらそれこそいくらでもあるのです。

ではその欠点たちを全て克服して完璧な人間になれるかといったら、そうではないと思います。きっと他に欠点が出てきてしまい、それの克服に追われる。いたちごっこです。

なぜこのような考え方に自分はなってしまっているかと考えたときに、学校の「減点方式」に原因があるのではないかと思い当たりました。

もちろんここで学校教育の批判がしたいわけではありません。日本の学校教育は優れていると思っていますし、ここまでの水準を広範囲の子どもたちに提供できている日本は、本当に素晴らしいと思います。

ただ一方、今のぼくのように、自分の粗探しをしてしまうところには、この学校での教育方法に原因の1つがあるのかなと思います。全ての物事に対し良い点しかないということはなく、2面性で悪い点が出てきてしまうように、学校教育の悪い面が出てしまっているのかなと思っています。

それは何かというと、先程言った「減点方式」という考え方です。

減点方式だと、なかなか満たされない

例えば、テストで60点を取ったと思います。人によるかと思いますが、ぼくの場合、100点を目指しているので、理想の状態から「−40点」だと捉えてしまいます。テストでできる最高のパフォーマンスというのは、100点を取ることですから、60点だと最高の状態には達してないわけです。あと40点という差がそこで生じているわけです。

次のテストで頑張って80点取れたとしましょう。それでも理想の100点には達しておらず「−20点」です。

ではさらに次のテストでようやく100点が取れたとしましょう。これで「±0」で理想の状態になれたわけです。ここでは「やった100点取れたぞ!」という達成感に包まれるでしょう。

しかし次のテストは90点だったでしょう。90点でも大したものです。しかし100点を理想にしている以上、それは「−10点」という自己評価になってしまい、達成感や満足感は得られないでしょう。そしてまた必死に勉強して100点を取るわけです。

どうでしょう。確かに努力し続けられる仕組みにはなっているかと思いますが、当人にとってはこれはどうなのでしょう。少なくともぼくはこれがつらく感じます。だって、ずっと走り続けなきゃいけない感じがするからです。例え100点取れたとしても、次また100点を取らなければいけません。100点を取るなんて、簡単なことではありません。小学校ならまだしも中学・高校・大学になって100点を取り続けている人なんて、ほとんどいないんじゃないかと思います。

もちろんそういった努力したり高みを目指し続けることが好きな人は良いと思います。ただぼくにとってこれはゴールのないマラソンをしているようなものなのです。

終わりのないマラソンのよう

ぼくのように感じる人は、どうしたらゴールのないマラソンを終えることができるのでしょうか。

ぼくが現時点達している結論は、「数字で見ることをやめる」ことです。

数字で見ずに、あるがままを受け止める

数字って、当たり前の話ですけど、無限にありますよね。1万の次は1億で、1億の次は1兆で、と際限なく数は続きます。例え100点をMAXの状態にしたとしても、その状態を繰り返す回数は、無限に作り出せてしまいます。ですからその100点になるのがつらいと、それがずっと続いてしまうことになってしまいます。

さっき言ったように、この100点を取ることが好きな人からしたら、相当幸せな状態です。なぜならその100点を取るという幸せな行為が、無限に続くのですから。しかしぼくのように、100点を取り続けることに意味を見いだせない人間からすれば、苦痛以外の何者でもありません。

そこでぼくは数字で判断することをやめました。例えば何か物事に対し100点とは言えず、50点くらいの出来栄えだったとしましょう。今までであれば、理想の半分にしか達していない、次はもっと改善しなきゃ、という思考回路になっていました。

しかし50点というのを、理想の半分の状態と見るのではなく、50点だったいう事実として認識するのです。ただこのまま数字で話していても、理解が難しいと思うので、数字での表現から一旦離れて、物の形として捉えてみようと思います。

ここに真四角の四角形があったとします。これが理想の状態、つまり100点の状態だとします。

しかしなかなかピッタリこの形に当てはまるなんてことは、そうそうありません。自分の状態は真四角ではなく尖ったりでこぼこしたりしています。

つらくなるのは、自分の状態の上に、理想の状態を当てはめてしまうからです。

よくクッキーを焼くときに使う型をイメージしてもらいたいのですが、あれは楕円の形をしたクッキーの素に対し、型を使ってくり抜きますよね。あれと同じように、理想の状態という型を使って、自分をくり抜いているようなものです。当然型からはみ出て部分はチョン切られますので、痛いです。しかしそうすることによっていらない部分は取り除かれ、足りてない部分が明白になります。そして自分には足りてない部分を補う行動に移るのです。

大事なことは、当てはめないことだと思います。そして自分の状態・・・そのでこぼこして角張った自分を認めてあげることだと思います。これをしていかないと、ずっと理想の状態に当てはめるレースに参加し続けることになってしまいます。

まとめ:足りてないという認識を捨て、そのままを認めてあげる

いかがでしたでしょうか。数字で認識するというのは便利なもので、一瞬で足りているか足りていないかがわかります。

もちろん便利であるため、利用するべきなのですが、足りてないからダメだ、バツだと認識してしまうと、いずれ自分が疲れてしまうと思います。

ぼくはそういうのが好きではないため、理想の状態というのはあくまで参考くらいにおいておいて、自分のあるがままの姿を大事にしようと思っている今日この頃です。

今回は以上になります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。読んでくれた方の何かの参考になれば、幸いです。

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