(106) 自分の答えを決める
今までは、こうあるべきという姿が提示されていて、
それにどう沿うか、100点を取るかが全てであったと思う。
しかし社会に出てからは、この目標設定が途端に難しくなる。
いい学校に入って、いい会社に入って、家族を持って、家庭を養う。そして老後、となんとなくの人生プランみたいなものが設定されていたと思う。
しかし、このプランも段々と崩れ始めている。優良企業がずっと生き残っていけるかというと、そうとは限らないし、明日何が起きるかわからない時代だ。おそらく高度経済成長の時は、うなぎ登りであったから、そんな心配もしなくてよかったのだろうが、今はもう成長はしていない、停滞している。その中では減ることはあっても増えることはない。その中で生き残っていくということは、並大抵のことではない。
先行き不透明の中で、どう生きていくか、もう答えが用意されている時代は終わり、どう自分で答えを作っていくかが重要な気がする。
そのためには、自分はまずこう考えるという論旨を打ち出す必要がある。
そしてその次にそう思う根拠を説明する。それが納得性の高いものであれば世間に受けいられ、自分の答えが誰かの答えになっていく可能性を秘める。
逆にその根拠が受け入れられないものであれば、拒絶される。
拒絶というのは非常に怖いものだ。人間は群れをなす動物であるし、こと日本においてはその協調性というのは非常に重要視されているように思える。その中で協調性に欠け、集団から疎外されるということは、最もやってはいけないことだろう。だから拒絶されることを恐れるのは、本能的に間違っていない。
しかしここで理性を働かせて考えなければならないことは、ある集団で拒絶されても違う集団では受け入れられる可能性があるということだ。そのためには自分の考えを根拠とともにしっかりと持っていなければならないと思う。
どんなに素晴らしい考え方を持っていても、それが相手に伝わらなければ、せっかくの宝も持ち腐れである。人間はそれを伝え合うために、言語や文字というコミュニケーション方法を発明したのだと思う。
ここではぼくの考えを根拠とともに記しておきたいと思う。誰かに見られ、拒絶されるのは恐ろしいが、やらないと始まらない。だからやるだけである。
自分の論旨・考え
やはりぼくとしては、好きなことを仕事にするというのが最も効率的な生き方なのだと思っている。
もちろん、この考え方に対し、否定的な意見が多いことも知っている。好きなことだけして生きていくなんて、甘い考えだ。辛いことをするから仕事なんだという意見があることも知っているし、ぼくはずっとそれが正義だと思って生きてきたところがある。
しかし、好きじゃないことを仕事にしていても、そこから出力されるアウトプットは1級品にならないことを知ってしまった。それに辛い思いをして出力したアウトプットを見て、自分たちの子どもたちがそれを真似てしまってもかわいそうだとも思う。やはり好きなことはいくらでも自然にスキルアップするし、それで人の役に立つのがどう考えても誰にとっても幸せであることに間違いはないのだ。
それなのにそうならないのはなぜだろうか。それは、自分の好きが、誰かの役に立ってないからだと思われる。例えばどれだけ歌が好きでそれで歌も上手くなった人がいても、それがぼくの好みではなかったら少なくともぼくの役には立っていない。そういう人は頑張っているなとは思うが、積極的に応援しようとは思わないだろう。やはり自分の役に立ってこそ、その人を応援したくなるのは普通だ。
だから大事なことは、自分の好きが、どういう人の役に立つかをしっかりと定義する必要があると思う。
例えばぼくは写真を撮ることが好きだが、それが誰の役に立つというのだろう。カメラを持っている人は何百万人といるし、下手すればスマホのカメラ機能が向上している現在、写真を撮ることができる人は何千万人という数に上るかもしれない。
その中で自分が写真を撮って、それがどういう人の役に立つというのだろう。人によって良いと思う写真は違ってくる。絶対的に良い写真というのは存在しない。その中で自分の写真を誰が選んでくれるというのだろう。
逆にいうと、写真を誰かに撮ってもらうのはどんな機会か。七五三や成人式、就活の際など、記念に残したり、しっかりとした質を残したい時にプロにお願いするのだろう。
自分としてはこのターゲッティングに今、悩んでいるが、結局のところ、絆づくりなのかと思う時もある。例えばいつも日用品の買い物をする時、どこで買うかというと、近所のスーパーなどで買うとする。それはスーパーという機能が、身近にあるから使用しているだけで、例えばもっと近いスーパーができたり、質がいいスーパーができたら、そこに流れてしまうだろう。
しかし、そこに絆が入ると、途端に参入障壁が高くなる。自分はこの店がいいからここにしているんだという、価格や利便性を超える絆がサービス提供者と受け手側に作られれば、その関係性は強くなり、それが好きと役に立つを結びつける気がしてならない。
以上
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