(114) なぜ言い訳をしてはいけないと思うのか

言い訳はしていいのか

小さい頃から、言い訳をしてはいけないものだと思って生きてきた。

まず怒られたり叱られたりしたら、言い訳をするのではなく、まず謝るものだと思ってきた。

でもいざ自分が大人になった時に、この理由を考えてみると、おそらく言い訳をされると、叱った側が面倒だからというのが本音だということに段々と気付いてきた。

なぜなら、いちいち注意した時に言い訳をネチネチ言われていては、非常に効率が悪い。鵜呑みにしてもらって良い返事をもらった方が、断然効率的だ。自分が話している内容は絶対的に正しいという前提で、言い訳をせずに飲み込んでもらおうという作戦である。

なので、言い訳をしたい側からすれば、言い訳をするのは、本来真っ当なことである。そうしないと自分がどう考えているのかということに蓋をすることになってしまい、自分の頭で何も考えられない人間になってしまう。

これと非常に深く連結されている人の思考がある。それは、「怒られたくない」という思考だ。

怒られたくないと考えるのはなぜか

ここで考えておいた方がよいのが、かなりの人に「怒られたくない」という意識が根強くあるということだ。

「怒られる→嫌われる→その集団から除け者にされる→一人になる→支援がもらえず死ぬ」

といった本能が働き、基本的に人間は、集団から逸する行動を取るのは慎む。これが本能的なものだからどうしようもないし、あえて変える必要もない。これはこれで非常に有用な機能なので、これはそのままにしておいた方がいい。

問題なのは、最初のなぜ怒られるかという点だ。ここはよくよく考え抜いた方がいい。

なぜ怒られるかというと、その相手にとって最善だと考えるパターンと、自分とがアンマッチを引き起こしているからだ。

自分はAだと思っていても、相手はAではなくBだという。Aでないと困るから怒る、といった具合だ。

そもそも怒る人というのはどうしてもAでなくてはいけないと考え、それ以外を拒絶している人のことを指す。A以外は受け入れられないのだ。

最初の言い訳の話に戻るが、言い訳をちゃんとしないと、自分の意見を言語化できず、どんどん相手の言いなりになってしまう。それを避けるため、言い訳(というか自分の考え)を話すのはちゃんと意識した方がいい。

ここで出てくるのが、「怒られる!」というアラート信号だ。今までAと言われればAと言わなくてはいけなかったのに、自分はAではなくBだと思っている。それを口に出した瞬間、「怒られる→嫌われる→その集団から除け者にされる→一人になる→支援がもらえず死ぬ」の思考に入ってしまう。死が怖いから黙って従うという負のルーティーンに入ってしまうのだ。ここから脱するためにはどうすればいいのか。

そのためには、まず、怒ってくる相手は自分を支配しようとしている人だと、認識しなければならない。そもそも自分と協力して何かやりたいと考えているならば、語気を強くしたりして主張してこない。よく、「あなたのために怒っている」という人がいるが、あれは嘘だ。正確にいうと嘘ではないのかもしれないが、「正解はAである→Aにしないとあなたは不正解になる→それはよくないから私はそれを伝えている」という思考回路だと思うが、そもそも本当にAが正解かは誰にもわからない。逆をいうとAが正解かもしれないが、自分はどうしてもAだと思えずBだと思うという時もあるだろう。

そういう時は素直にBだと言えばいい。確かにあなたの考えもわかるのだけれども、私はBだと思うと。それかそれでもB案を受け入れられないのであれば、もう伝えるのはあきらめた方がいい。時間の無駄である。

結論としては言い訳はしても良い。というかした方が良い。それは自分の考えをしっかりと持つためである。

そしてそれが相手の意見として食い違って相手が怒ってきたとしても、それは相手の意見の押し付けであって、参考にするのは構わないが、それに従う必要は一切ない。自分の心の声に従えばいい。

怒られるのが怖いというのは、相手が正解だった時には正常に働く。しかし今に始まったことではなく、正解かもしれないし、正解じゃないかもしれない。そもそも正解なんてその時々で変わる。だから自分が良いと思ったものを信じて動けばいいのだ。

そのためにも、自分の考えは口に出したり、文章にしたりで、固定化させておくべきなのである。

以上

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