(124) 合っているとか、間違っているとか、正しいとかの話

この世の中には、「合っている」とか、「間違っている」とか、「正しい」とか「正しくない」とか、そういう言葉がある。これらは一見同じような意味を持っているが、果たしてどういう意味を持つのか。そのことについて今日は考えたい。

「合っている」とはどういう状態か

まず一つの例として、合っているとはどういうことかを考えたい。

これは英語でいうところの「match」に相当すると思われる。matchは、対のものと組み合わせる、つまり凹凸をくっつける、テトリスのような感覚が語源にある。

例えば、テストで、正解と合っているとなると、正解というあるべき姿があって、それが自分の解答とカッチリと合うようなイメージがある。

このやり方は自分の性格と合っているという時に使う時も、自分の性格と、そのやり方がカッチリとはまっているイメージなのだと思う。

逆に合っていないとなれば、AとBがカッチリとうまくはまらない、飛び抜けてしまったり不足があったりで同一でないことを表している。

「正しい」とはどういう状態か

それでは次に正しいとはなにかについて、考えてみよう。例えばこのやり方は正しいというときは、何か自分の中であるべきやり方の概念があって、それとこのやり方がマッチしていることを指していると思う。要は「合っている」と同義ではないかとぼくは考えている。

正しいの「正」の語源は、「一」と「止」を合体させた文字で、「一(一直線に)」「止(あしの意味がある)」で、まっすぐ向いて、よこしまでないことを表している。

なにかの物事に対し、まっすぐきっちりと合致している、そんな意味を持っているのだと思う。

「間違う」とはなにか

逆に、正しいの対の意味で、「間違う」というのがあると思う。これはどういう意味を持つのだろうか。

これは字をそのまま見ると、「間が違っている」、つまり、相手となにかタイミングがずれているようなイメージを持っているのだと思う。

ただ辞書によると、紛う(まがう)と違うの混合の言葉と書いてあるものもあるので、間違うは当て字の可能性もある。

例えば紛うの意味が強かったとすれば、それは紛らわしい、見分けがつきにくいという意味を持つはずだ。だから間違うには英語でいう「mistake」の意味合いが強いように感じる。

mistakeも、「miss」と「take」で、取ることを誤るという意味である。

「あ〜、間違っちゃったな〜」と自分で嘆くとき、これは正解がAであるにもかかわらず、Bを選択してしまった自分を嘆いている。

だが、「あなたは間違っている!」と責められる時のこの間違っているは、正解AではなくBを選択したその人を、文字通り責めている感じがする。

間違っているというのは正解を選ばなかった事象や誤ったことを述べているだけに過ぎず、それで人を責めるかどうかは別次元の問題である。

これらを表にまとめると以下となる。

よく、自分のこの考えは正しいのだろうか、間違っているのだろうかと悩む時があると思う。

それは自分の考えが正解と合っているかを悩んでいるということだ。

ではその正解とはなにか。それは社会通念上正しいとされることだったり、今まで所属してきているコミュニティ上の正解だったりするだろう。

しかしそれらは絶対的に正解であるとは限らない。正解というのは定義してしまえば、いくらでも発生する。大事なのはそれがどれほど人が信じているかということだと思う。

もしなにかの正解と自分の中の考えが合致していなくても、自信を失う必要は全くない。それは合致していないというだけなのだ。

それでコミュニティからハブにされるという危険性があるから過敏になっているだけで、別に自分を卑下したりする必要はない。それだけのことをぼくは言いたいだけなのである。

以上

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