(37) なぜ申し訳ない気持ちになるのか?

ぼくは他人に対して、「申し訳ない・・・」と思う時が多いと思う。

自分が仕事が十分できなくて、申し訳ない

家事が下手くそで申し訳ない

親族に対して十分貢献ができてなくて申し訳ない

もっと子どもたちに何かしてあげたいのだけれど、それができなくて申し訳ない。

申し訳ないことが多すぎて、泣けてくるくらいだ(笑)

それくらい、ぼくにとって、やってあげたいのだけれど、諸々の理由があり、それができていない現状がある。悲しいことだ。

でも気をつけなくてはいけないなと思っていることが、できない自分を責めないことだ。

できてない自分を見つけると、安易に責めようとしてしまう。それが楽だからだ。

自分を責めるのは楽である。なぜなら自分は反抗してこない。危害を加えてこない。他人を責めると抵抗に合う恐れがあるが、自分に対してならば反抗してこない。そう、タカを括っているのだ。

しかしここで安心してはいけない。反抗はしてこないが、自分を責めすぎると、いつかポキっと折れてしまう。痛めすぎると、心が折れてしまうのだ、反抗されない代わりに。

だからというわけではないけれども、自分を責めるのは避けたほうが無難だ。折れてしまってからでは遅い。また立ち上がるために、多くの時間を要する。骨折をすると治るのに時間がかかるように、心も折れると治るまで相応の時間がかかる。だから自分を責めるのはやめたほうがいい。

だからといって、なかなか他人に対して、申し訳ないという気持ちをなくすことは難しい。

ここで立ち返って考えてみたいのだが、どうして申し訳ないという気持ちになるのだろうか。

それは相手の期待に応えられていないからだと思うが、根本にあるのはその人との関係性を維持したいと思っているからだと思う。

もしいやな人からお願いをされて、それができなくても「申し訳ない」という気持ちにはならないだろう。どちらかというと、その依頼を達成できなくて、清清するかもしれない。

おそらく、申し訳ない、と思う相手は、自分にとって大事だと思っている人だったり、何かしらメリットをもたらしてくれる人と認識しているのだと思う。

ということは、申し訳ないと思えているということは、自分にとってメリットがある人物を捉えられている、つまりターゲッティングできているということだ。これはこれで、素晴らしいと思う。

であれば、次に解決したい問題が、あの「申し訳ない」というときに感じる、心の痛みである。申し訳ないと思う時、胸にナイフで突き刺されたような痛みを伴う。あの痛みは本当にいやなものである。自分が情けなくなるし、相手に対して本当にそれこそ、申し訳ない気持ちになる。あの痛みを回避する方法はないものだろうか。

そもそも申し訳ないと思う時、なぜ痛みが伴うのか。

逆のことを考えてみよう。申し訳ないと思う時、痛みを伴わなかったら?逆転して喜びを感じる仕組みだったらどうなっていただろうか。

申し訳ないと思うと、楽しい気持ちになってしまう。そんな心理構造であれば、どんどん申し訳ない事をしてしまうだろう。なぜならそれが楽しいからだ。でもそんな事をし続けていれば、その相手との関係性は良くはならないだろう。痛みというマイナスを受けることにより、もうその「申し訳ない」事をしないようにする、人間の心理現象なのだと思う。

つまり申し訳ないという気持ちは、

  • 自分にとってメリットがある相手に対して、
  • 十分に与えることができなかった場合、
  • もうそれを再発しないように

悲しい気持ちを発生させることで、未然に防ぐ心理現象だということが言える。

だから、再発防止策として申し訳ない気持ちを発生させているので、自分を卑下することとは全く関係ない。いや全く関係ないとは言えないが、自分を陥れることで再発防止を強めるという観点はあるが、文中で述べたように、自分を卑下することはおすすめしない。なぜならそれは心を折る原因になるからだ。

だから、自分を卑下するのは決してしてはいけない。申し訳ないというグサリとくる感情はそれはそれで受け取り、2度しないように気を付ける。でも気を付けるために、過去の自分をムチで叩くような真似はしないでほしい。その時の自分は最高のパフォーマンスとしてその選択をしたのだ。逆にその自分は褒めてあげてほしい。

申し訳ないという気持ちは、単なる再発防止のための策である。それは人間が備えている機能というだけである。もし今度申し訳ないという気持ちになったら、「あっ、再発防止策が、うまく作動しているな」くらいの気持ちで客観的に自分を見て、その反応を受け取った上で、冷静に対処をしていきたい。

以上

2022-10-01|
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