(43) 焦りの感情とどう付き合っていけばいいのか?

焦りとは、あのソワソワして落ち着かなく、ストレスが常に付き纏っている状態のことである。

なにかしなければいけないことがあるのに、それがまだ実行されていない。

不安因子が消されず、残ってしまっている状態だ。

あのストレスとはどう付き合っていけばいいのか。今回はそれをテーマにしたい。

焦りとはなにか

あの焦りとは、なにかをした方がいいのにそれができていないため、ちゃんとそれを実行させるようにする心理現象である。

本当にしなければいけないことができていないのに、楽観的な心理であると困るのである。ちゃんと不安になってもらわないと、人間はそのしなければいけないことを一生しない。だから不安に駆られてストレスを感じるように、設計されている。

この心理設計は便利な反面、辛い面もある。基本ストレスや不安は感じたくない。できれば消し去りたい。だがこのストレスという心理現象があるからこそ、うまく人間は生きていけているとも言えるから、難しいところだ。

今回は、このストレスを使ってしなければいけないことを強制的にさせる心理現象のことを、「強制行動心理 ※」と呼ぶことにする。

しなければいけないことは、本当にしなければいけないのか?

ここで考えたいことは、それは「本当にしなければいけないことか」ということだ。

ぼくがよく見るYouTubeの番組で、ディスカバリーチャンネルというものがある。そこでは冒険家のエドが無人島で暮らしたり、秘境でサバイバル生活を送ったりなど、そういったコンテンツを届けている番組だ。

サバイバル生活になって一番重要なのは水である。水がないと人間、3日間も生きられないらしい。水が確保できたら次は火か食べ物。火は暖を取ることができるし、野生動物から身を守る武器にもなる。また食べ物に火を通して衛生状態も上がる。食べ物が必要なのはいうまでもない。

それから寝るところを確保したり・・・となるのだが、これらは本当に生きるために必要なものという気がする。一方、現代社会ではこれらはすべて揃っている状態にあると言っていい。だから誤解を恐れず言えば、生きること自体は容易になっているということだ。

こういうことを言うと、「いやいや、働いてお金を稼がないと生きていけないよ」と言われそうだが、果たして本当にそうなのだろうか。例えばこの日本において餓死すると言うことはあるのだろうか。当然そういう人たちはゼロではないし、リアルに考えて悲しいことに一定数いるのだろう。また日本ではなく世界を見ればそう言う人がとても多い数いることも知っている。

そう言う人のことを思うと、心が痛む。どれほどの辛い思いをして日々を暮らしているのかと思うと、泣けてくる。自分が何かできるとすれば存分にしたいと思う。日々の暮らしの中でできること、例えば募金の機会があれば積極的に行うとか、困っている人がいれば自分ができる裁量内で助けるとか、食べ残しをしないとかそう言ったことはしていく。

単身で海外ボランティアに出かけられるようなステータスには今ないので、それはできない。いや、もしできるとしても果たして自分は行くだろうか。ここに自信がないため、協力したいと言うのは、自分の中でたいして大きなものではなく、偽善に近いのかもしれない。

さて話を元に戻して、なかなか今の状況で、餓死することは考えにくいと言うことだ。もし職を失っても再就職すれば良い話で、路頭に迷うと言うことは、現時点考えにくい。仮に路頭に迷っても餓死するまで行くと言うことはないと思う。

そうなると、生き永らえると言う生物としての最終目標はもうゴールしてしまっているのである。生物の最終目標である「生きる」ことが達成できてしまったら、他に何を目標に生きていけばいいのだろうか。

それは自分のやりたいことを叶えることだったり、人によるであろう。ただどっちみち言えるのは、新たな目標を自分で掲げなければいけないと言うことだ。

そう言った目標は、個人ごとに掲げるとして、今考えたいことは、「しなければいけない」と思うことは、本当にしなければいけないのか、と言うことである。

仕事をしなければいけない、仕事でも〜〜いう仕事をこなさないといけない。この依頼にはクイックに回答しなければいけない。今までの人生においてやってよかったと思う自分の中での成功の方程式のようなものがあり、それをちゃんと遂行できるように「強制行動心理※」を発動させる。それでそのストレスから逃れたいために、やらなければいけないことをやるという仕組みになる。

しかし再三言っているように、本当にそれをやらないと、生物としての「生きる」と言う目標は阻害されるのか?その仕事をしなかったら本当に生きていけないのか?

それは限りなく答えは「ノー」である。別段その仕事をしなかったからと言って、死ぬわけはない。なのに人間は「強制行動心理」が働き、それを実行しようとする。それを実行されないと悪いことが起きると思っている。

しかしその悪いこととは、死に直結はしていない。それをしないと周りからの評価が下がるとか、仕事が今後来なくなるとかそう言った恐怖である。ただ冷静になって考えたらそれをしなくても死なないことは明白であろう。

人間には生存本能が必ずある。それを助けるために「強制行動心理」がずーーと昔から備わっている。それは生きるために有効に活用されてきた。雨が降らない、これはまずい、何か対策をしないと稲が枯れる。一緒に狩りをしている仲間と喧嘩してしまった、このままだと食いっぱぐれるかもしれない。そう言ったのほほんとしていてはまずい状況の時、ストレスをバーーと発出し、お尻に火がついた状態、つまり焦りの状態に人間を持っていき、行動させてきた。

しかし現代社会になって生きることが容易になってからは、正直それを使わなくても十分生きていけるくらいイージーになってしまったのだ。

しかしこの「強制行動心理」はすぐになくなるわけではない。長年の間に人類が築いてきたものだから、ひょっとするとこの心理現象は今後何百年、何千年と消えないかもしれない。

生きることができるようになってしまって、この「強制行動心理」が頻繁に使われなくても良くなってしまった。使わなくても生きれるようになってしまった。しかし心理自体は残っている。ではこの心理はどこで活用されればいいのか。

それは、生きれる確率99.999%が現時点だとしたら、それを99.999にするために使われると言った形に変化した。つまりコンマの世界でその生存確率を高めるために、針の穴を通すみたいに些細なことに使われるのである。

仕事で失敗したらまずいという「強制行動心理」が働くのは、仕事で失敗→クビになる→食いっぱぐれる→餓死すると言うルートを潰すために発動される。しかし現実問題、それくらいではクビにならないし、なったとしても食いっぱぐれることはない。人間は生きることに対して大きな問題はクリアしてしまったから、それと比較すると小さい問題を過大に評価して、それを乗り越えることで、生存確率をコンマの世界で高めようとしているのである

人間は、物事を相対的に見れる力を持っている

この、人間の、相対的に物事を捉える力は、他の動物では持っていない、突出した能力だと思う。

ディスカバリーチャンネルのエドも最初は水を求めて必死になって探すが、いざ探せると次に火を起こす。最大目標が水だったのが、それをクリアすると、次の最大目標が火に移るのである。

これはすごいことだと思わないだろうか。水だけに飽き足らず、生きることに必要なものをどんどんスイッチして獲得していけるのである。

サバイバルから離れる例を出せば、テストの点数である。最初は50点でも、それを悔しがり、60点、70点そして100点と点数を上げていける。最初は50点を最大目標としていても、その目標をどんどん高めていって、最高得点まで到達することができるのである。

一つの山を登り終えたら、さらに高い山を登りたくなる。これを「向上心」と人は呼ぶのであろう。この向上心がある限り、絶対的な目標はなく、Aという目標を達成することができればそれで終わらず、相対的に見てさらに高い目標を掲げ、それに向けて走っていくのである。

最初は水を確保するのが最大目標であった人類。

そして今は水などの生存するために必要なものはすべて揃えられ、テストの点数を1点でも上げようとしている人間。

どちらも同じ人間であるが、後者の人類は、何千、何万という月日を重ね、目標を掲げては達成し、また掲げては達成しで到達した地点である。人類は目標をアップデートすることで、進化を遂げてきたのである。

まとめ

今の世の中死ぬことはそうそうない。まずいと思うのは今までの人類の本能の影響。冷静に考えれば死ぬことはない。仕事をしていて死ぬことは滅多にない。別に仕事を怠けろとか手を抜けと言っているわけではない。もっと楽観的に、楽しく、積極的に、前向きに捉えるべきだと思っている。それは正直生死に直結していない。それは妄想である。仕事を楽しむ。険しい顔をしながら必死になってするものではない。人を叱って出し抜いてするものではない。生存というステージを抜けた今の人類が、自分の人生をさらに楽しむためのボーナスステージだと思っても良いと思う。マリオでいう、コイン取り放題のボーナスステージを、難しい顔をして取るプレイヤーがいるだろうか。いや、きっと興奮してコインを取りまくるに違いない。

仕事をそんなふうに捉えるなんて、不謹慎だと言われることもあるだろう。事実、そういうふうに、自分もずっと思ってきた。しかしそんな辛いことを社会に出て五十年近くするなんて、地獄に等しいのではないか。自分自身でもあるが、自分の子どもたちにも、世界はそういうふうになっているなんて、言いたくはない。

もっと仕事は楽しむべきである。それは本当に強く思う。

以上

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