(55) 悪気とはなにか

悪気はなかったんだ。

仕方なかったんだ。

そうやって自分の行為を正当化するときがある。

悪気とはなんなのだろうか。

例えば良い例ではないが、いじめがある。

学校のクラスの中でいじめられっ子がいて、いじめっ子がいる。

いじめっ子は、クラスのみんなに、いじめられっ子に構うなと言う。もしいじめられっ子と話したら、話した奴もいじめると脅迫する。そして誰もいじめられっ子に話すことはなくなる。

この、いじめっ子に協力したクラスメイトは、別にいじめたくていじめられっ子を無視したわけではない。自分に火の粉が降りかかるのを避けるために、いじめられっ子を無視するという手段を取ったのだ。

それでは例えば戦争ではどうだろうか。誰も好き好んで相手を傷つけたいなんて思わないだろう。しかし自国のため、家族を守るためという理由で、敵国の兵士と戦い、傷つける。

これも別に傷つけたくて傷つけているわけではない。仕方なく、自分の目的(自国を守る)のため、人を傷つけるという手段を取るのだ。

もっと身近な例にして、仕事にしようか。仕事でもたくさんの仕事があって優先順位をつけてこなしていく。しかし、自分のキャパが5しかなくて、仕事が10あったら、残りの5の仕事は着手できない。

その残りの仕事の5の結果を待っている人にとっては「いつまで待たせるんだ!」と怒りを買う時もあるだろう。

しかしこれも別に悪気があって、仕事をしてないわけではない。自分のキャパを超えた仕事量だから着手ができなかっただけである。ただ相手にとってはそれはわからず、仕事をこなせていないと判断されるだけである。

悪気がない、仕方なかったというのは簡単であるし、やはりしょうがないことなのかなとは思う。

しかしここでぼくが思い出したのは、スパイダーマンの有名な台詞である。

「大いなる力には、大いなる責任が宿る」

そう、自分が選択、もしくは選択しなかったことにより、その後の世界線は大きく変わってくるのだ。

悪気はなかったんだ、と一蹴してしまうのは簡単である。しかし、その自分の選択肢によって、その後がどう変わっていくのか。そこまで見通せる人間になりたいものである。

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