(56) 無理をしていいときはどんな時か

以前、無理をするとは、ドラゴンボールの界王拳を使うようなものだと書いた。

つまり、界王拳のように、未来にある体力を今、使うことによって、力を数倍に高める技のことだ。

このように、未来の体力を消費し、今ブーストをかけることを、頑張ること、無理をすることと捉えているため、界王拳という言葉を使って表現してみた。

この話の結びとして、本当に危機に瀕した時以外、界王拳(無理をする)は使用しなくていいと書いた。

だが具体的に、使用してもいい時というのはどんな時を指すのだろうか。

本当に危機に瀕している時は、そこまで考えなくていい。なぜなら頭で考えるより身体が反応してくれて、既に動いているからだ。

それ以外はどういう時があるのだろうか。

ぼくは小さい子どもがいるのだが、その子たちから休みの日は遊ぼう、遊ぼうと言われる。

嬉しい反面、休みの日は休みたいと言って、ゴロゴロしてしまう時もしばしばある。しかし子どもたちはそれを許してはくれず、遊んで×遊んで、をひたすら繰り返してくる。時には泣いてしまう時もあるものだから、ぼくはそれに屈して、遊ぶことになるわけだが。

最初はボーとしながら公園で一緒に遊んだりするわけだが、最初は正直気乗りしない時でも、子どもと遊ぶと本当に色々な学びがある。

子どもがやることは、普段自分がやらないことばかりである。そもそも公園で大人は遊ばないだろう。滑り台を滑ることも、鬼ごっこをすることも、かくれんぼをすることもサッカーをすることもほぼないだろう。

植物をまじまじとみたり、空を見上げたり、鳥を見ることもないだろう。

そういう普段大人がしないことを、いとも平然に引き合わせてくれるのが、子どもとの触れ合いである。だから普段使わない神経が発動し、思わぬアイディアが浮かんできたりする。

これは子どもがいないとできない大人の特権であると思う。しかし身体が疲れているからと言って、あまり積極的に遊ぼうとしない自分がいることも確かである。子どもから遊ぼう遊ぼうと言われても、ソファーにお尻がくっ付いてしまって、動き出せない自分がいる。

こういう時に使うのが界王拳なのかもしれない。ちょっと無理して着替えて外に出て子どもと公園に行く。最初は身体がしんどいかもしれないけど、それ以上の収穫がある。

こういう時が無理をしていいときなのかもしれない。つまり今しか出会えず、いろんな学びがある時だ。今しかできない大切なことは、少し無理をしていいのかもしれない。もちろんいつも無理はせず、自分の体を気遣い、できる時だけでいいのだが。

以上

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