(59) 味覚と、満足感について

味覚は他の四感に比べ、優先度が低い?

五感とは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚である。

視覚、聴覚は見る、聞くに関するところだから、とても重要な気がする。

触覚もないと困るだろうし、嗅覚もないと、異変に気づきづらいだろう。

しかしこと味覚になると、あまり重要視できない。

確かに味が落ちていたり、腐っているものを食べても気付けないという危険性はあるだろうが、この現代社会において、その点はあまり重要でない気がする。

ただ、生存という意味ではなく、人生を充実させるという意味では、「味わう」ということはとても重要なことなのでは、と最近思い始めている。

ぼくは食べることにあまり興味が出ない

昔からなのだが、ぼくはあまり食べることに興味が持てない。

作ってくれた人には大変申し訳ないのだが、栄養がちゃんと取れていれば、それで十分な気もしている。

しかし世の中には少しでも美味しいものを求め、高いお金を払う人もいる。不思議なものだ。

しかしこの味わうという行為は非常に重要な気が、最近している。

味わうとは今に集中している

味わうためには、口に食べ物をいれ、まずよく噛む必要がある。

口に入れてすぐ飲み込んでしまって、味わっているという人は少ないだろう。ごく稀に、喉を通過する際、美味しさを感じる人もいると聞いたことがあるので、そういう人たちはここでは除く。

よく噛むと、その食べ物の固さがまずわかる。そして歯で噛んで段々とその食べ物は小さく分解されていく。

そのあたりで舌がその味をキャッチして美味しさを感じる。そして最後に飲み込む。

ババっと噛んですぐ飲み込んでしまうのに比べ、味わうのは非常に時間がかかる。しかしこの味わっている瞬間は、今、口の中にある食べ物に対し集中している

この、今に集中するというのは、案外ぼくの生活の中で、できていない。いつも次何しようかとか、未来にある不安に対しどう処置するかを考え、悶々としている。

かと思えば過去に起こったことを思い出し、別の対処法ができなかったかと後悔している。

両者とも、今を集中して生きていない。過去と未来という、どうしようもないことに対し、腐心している。

もちろん、過去を反省し次に活かしたり、未来に対し予測を立てることは必要である。

しかし年柄年中そればかりしていても、心が疲れるだけだ。やはり今を生きて、生きていることを、それこそ文字通り噛み締める必要がある。

味覚で味わえると、次は他の感覚で味わえる

ぼくはしっかりと味覚として食べ物を味わえ、こういった美味しいものを食べられる今に感謝することができるようになった。

この「今を味わう」ことができるようになると、次に触覚でも味わえるようになってくる。

今叩いているキーボード、温かい風を送ってくれる暖房、窓から差し込む光。そういった今を感じるようになってくると、自分は今幸せである程度不自由なことなく、健康に過ごせていることに対し、幸せや満足感といったものを感じられるようになってくる。

今、子どもたちが健康で、元気な声で遊んでいる今を、視覚や聴覚を通して感じることができるようになってくる。

子どもと手を繋いでその温もりを感じることができるようになってくる。

花を買ってきてその香りに、嗅覚を使って感じることができる。

今、生きれていることに感謝することができる

まとめ

手っ取り早く幸せや満足感を得たいのであれば、今に集中し、生きれていることを実感することがおすすめだ。

味わうことを思い出すのには、食べ物を食べる時、よくその味を噛み締めることが早道である。

味という字は、口と未という字を合体させたものである。よくわからないもの(未)を、口でよく見定めるという意味がある。よく見定めるためには、今、この瞬間に集中する必要がある。

味のことを考えていたら、お腹が空いてきた。今日はしっかりとよく噛み締めてご飯をいただこう。

以上

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