(74) 人生で一番大事なことはなにか
人は生物であるので、生きることが最も重要な課題であり、ミッションではあると思う。
しかしその中でもそのコアコンピタンスになるのではないかと思う点がある。
それは、「自己決定力」である。
もっと他に良い呼び名があるのかもしれないが、今は、自己決定力としておく。
これはどういったものかというと、つまり、自分で何かを決める決定権を持っているか否かということである。
これが発揮できないと、一気に人はやる気をなくす傾向にあると、自身の経験からも言えることである。
例えば、会社の仕事で、自分には何の裁量もなく、ただ言われたことを永遠とこなすことが業務だったとする。
例えば工場のライン業務などだろうか。これを例に取ると、偏見だと言われそうではあるが、なんとなくイメージがつきやすいので、工場のライン業務を例に取らせてもらう。あれだと、ベルトコンベヤーで流れてきた部品を、ずっと組み立てるという単純かつ単調な作業が続くのであろう。
そういった何も考えずにやる仕事が適しているという人ももちろんいると思うが、ぼくは苦手である。この作業を後どのくらいすればいいのかというふうに、未来に思考が行ってしまい、辟易としてしまう。
しかし、もしこのライン作業が、適度な休憩と、職場の人たちとのコミュニケーションが存在したり、業務の改善を上司に提言し、しかもそれが採用されるなどの変化があれば、この単純業務は全然違ったものになるであろう。これらの違いはなんなのであろうか?
それは、その環境を変える力があるかどうかという点だと思う。上司に提言して職場の環境が変わる可能性がある、また同僚と話して自分の課題感を共有できる仲間がいる。これらは今の状況を変える力があるかどうかということなのではないだろうか。
他の例をいうと、家庭内ではどうだろうか。日々仕事の繰り返しで、子どもたちの面倒を見なければいけない。そこに改善の余地がなければ、人は段々と病んで行ってしまうだろう。
また違う例で、仕事の話をすれば、先ほどのライン作業の話と似ているが、ライン作業でなくても、自分の仕事により、給料をもらえていることは自覚しているが、自分の意見が取り入れられず、仲間とのコミュニケーションもなければ、人のモチベーションはどんどんと下がって行ってしまうであろう。ではどうすればいいのであろうか。
解決策は、その現状を変える打開力を持つことである。ではどの打開していく力はどうつければいいのか。大事なことの前提として、「一人でやろうと思わない」ということである。一人の力には限界がある。一人で何か頑張ろうとしても、たかがしれている。だからまず自分でなんとかしようと思わないという心構えが必要である。
次にその心構えができたのならば、仲間を探すということである。一人では無理ならば、誰か自分の課題感に共感してくれる仲間探しをするべきである。
先ほどの仕事の例で言えば、自分が何か仕事へ課題感を持っているならば、それを誰かに話すべきである。家庭で課題を持っているのであれば、それを家族の誰かに話すべきである。
当然のことを言うようだが、自分が何を思っているかは、自分の言葉で相手に話さないと十分に伝わらない。もちろん顔色や態度でなんとなくは伝わるかもしれないが、最も確実なのは言語を使って、自分の意志や意図を伝えることである。厳しいことを言うようだが、相手がなんとなく汲み取ってくれるだろうとは思わない方がいい。そんなことを期待するよりは自分の言葉で伝えた方がずっと確実である。
ただし、ここで、自分の言葉で自分の意志を伝えるのが怖い、と言う恐れを抱くこともあるであろう。これは当然の心理現象だと思う。やはり自分の素の意見を言って、周りから拒絶されることは怖いことである。しかし何かを得るときは何かを失うリスクを伴わなければ得ることはできない。そのときは怖いかもしれない、もしかすると拒絶されるかもしれない。しかし拒絶のリスクを取るからこそ、共感が得られるかもしれないのである。そこはエイッと飛び込む勇気がいる。勇気はいるが、そこまで大きな勇気は必要ない。最初は少しずつでもいいから、自分の素の意見を言う訓練をしていくべきだと思う。
まとめ
今回の話をまとめると、その環境を変えられる決定力を自分が持っていないと、病んでしまうと言うこと。そしてそれを打開するためには自分の意見を周りに話し、共感できる仲間を作ることである。その仲間がある一定数になったとき、集団としてその環境を変える力になると、ぼくは思う。
以上
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