(71) 面倒をさけない

ぼくはコーヒーを飲むことが好きで、よくドリップコーヒーを家で飲んでいる。

お湯を沸かしコップをセットし、ドリップにそのお湯を注ぐのだが、まぁ面倒くさい(笑)。

お店のように店員さんが作ってくれて、ぼくの元まで持ってきてくれればいいのになぁ、と思う。

もしかすると、古代の人も同じだったのではないか。例えば古代のギリシアであれば、戦争に勝って相手国の人を奴隷にし、彼らに過酷な労働をさせ、自分たちは裕福なくらしをしていた。面倒でつらいことを誰かにしてもらって、自分は楽をするというものだ。

仕事も同じかもしれない。自分ではつらくて大変なことを、代わりにやってもらう。ギリシアの奴隷と現代の仕事も、つらいことを代わりにやってもらうという意味では同じだと思う。

しかし、それで本当に幸せなのかと思う。最初のドリップコーヒーの話に戻ろう。朝起きたら機械が自動でドリップコーヒーを淹れてくれたらどう思うだろうか。

はじめのうちは便利で嬉しく思うだろう。なんて楽なんだ。これで毎回お湯を沸かしてあのドリップのパックに、ちびちびお湯を入れずに済むと。

しかし段々それに慣れて、やれその機械を掃除するのが大変だとか、味がいつも同じだとか、文句を言い出すだろう。人間は慣れの動物で、最初はよくても徐々に慣れていき、飽きてしまう生き物なのだ。

そして今度は掃除が不要で、味も何種類もあるような機械が望まれるだろう。しかしそれを手に入れたところで次は、コーヒーではなく紅茶も飲みたいとかココアも飲みたいとか違う欲が出てくるだろう。もうこうなったら際限がない。

古代ギリシアも、奴隷に労働をさせてひまになりすぎて、コロシアムを作り、人と人とを戦わせるという、狂気の沙汰を生み出してしまった。人間の欲はエスカレートしていくと、とんでもないところまで行ってしまう好例だと思う。

ではどうすればいいのか。

ぼくは面倒をさけないことが大事だと思う。確かにドリップコーヒーを毎回作るのは面倒くさい。しかしその面倒くささを受け入れる。

お湯を沸かし
どのカップにしようかと悩み
どの味のドリップパックにするか悩み
お湯をちびちび淹れ
砂糖を適量入れて
かき混ぜる

アツアツのコーヒーをこれまたちびちびと飲む。舌で転がし、苦味を楽しむ。

カフェインを摂取するだけなら、機械が作るので済む。しかしコーヒーを飲むという行為は、カフェイン摂取だけが目的ではない。

作る過程、飲む過程、そこには手間と時間が生じている。時間が生じるということはそこに記憶が発生するということだ。

コーヒーを淹れた記憶。その時の味の記憶。作るまでに誰かと話をした記憶。その時の天気、時間、場所。すべてが思い出になる。

その思い出が大事なのではないか。コーヒーを飲むのはカフェインを摂るだけではなく、作る過程、飲む過程までの記憶、思い出たちが好ましいものだから飲むのではないか。あのまったりと過ぎゆく時間が好きだから飲むのではないか。

それを機械や他の人に任せてしまったら、その思い出たちを手放すことになってしまう。ただカフェインを摂取するだけになってしまう。それだったらカフェイン入りの錠剤を飲めばいい。ビタミン剤を飲むのと一緒だ。

ぼくたちが人間たらしめている根幹が、ここに隠されていると思う。人間にとって、目的を達成することも大事だが、そこまでにいく過程も同じくらい重要なのだ。

以上

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