(75) 大丈夫とはなにか

「大丈夫だよ、平気だよ、気にすることないさ。」

よく人をはげます時に使う言葉だが、一体全体、大丈夫とはどういう状態のことをいうのか。

大丈夫とは読んで字の如く、「大」+「丈夫」と言う単語が、くっついた言葉である。

身体が丈夫で大きいこと、つまり健康であるということから、この言葉が来ているのだったと思う。

食うに困っておらず、健康である。飢餓状態に陥ってないことも、大丈夫の要素として重要なのである。要は大丈夫とは「生命の危機に瀕していない状態」と定義することもできる。

大丈夫、大丈夫といっておいて、食うに困る状態になっていては、もはや大丈夫とは言えないのである。

では食うに困らないには、どうすればいいのだろうか?

どうすれば食うに困らなくなる?

極論を言ってしまえば、サバイバル能力をつけるみたいな話になってしまう。つまりどこででもどんな状況に陥っても生きていけるように、飲み水の確保の仕方、動物の捌き方、森での暮らし方など、そういったサバイバル能力を身につければ、極端な話、お金がなくても身一つで生きていけるだろう。

しかし、この現代社会でそれは現実的ではないだろう。そもそも誰にそれを教わるというのか。それに現代人が原始人の真似事をして、怪我や病気になるリスクもある。健康を害しては大丈夫の状態にはならないので、本末転倒である。そのためサバイバル能力を持つというのは極論的には正しいのかもしれないが、いささか現実味に欠ける。

お金をたくさん持っておくという手もある。日本円やドルは信頼性が高いし、保有しておけるから、たくさん稼いで貯蓄しておくという手もあるだろう。

しかしこれも極論、信用ならない。なぜならお金の価値が持続するなんていう保証は、ないからである。現実には起こって欲しくないが、明日から日本円が使えなくなる可能性だってある。お金は絶対ではないのだ。

ではどうすればいいのか。このためには、人が生きていくためにはどうすればいいのか、の基本原理に立ち返る必要がある。それこそ原始の時代、ぼくたちの先祖がどう生きてきたかを考えれば、答えが出てきそうだ。

昔、人はどのようにして生きたのか?

先祖は狩りをしたり農作をしたりして食べるものを作ってきた。これは食べることに特化した話だが、家を建てたり、服を作ったり、病人を手当てするなどして生きてきた。

これらは1人の人間がやっていたわけではなく、集団で暮らし、自分が得意とすることを仕事として育んできたものだ。つまり、体が大きな人は体を使う仕事をするし、手先が器用な人は武器を作ったり、機(はた)を織ったりした。自分が得意でパフォーマンスが高いものに集中し、その集団で役に立って生きてきたのだ。

ここで重要なフレーズが出てきたので着目したい。つまり、人の役に立つことが、集団で生きる上で非常に重要だということだ。

ではどうすれば役に立つことができるのか。それは自分が得意なことで相手の役に立てばいいのだ。

役に立つとは、相手が喜ぶことである。それを自分の得意と一致させれば、人の役に立つことができる。役に立つ→集団で生き残れる→食うに困らない(食いっぱぐれない、生命の危機に瀕さない)ということになる。人の役に立てば、食いっぱぐれることはないということだ。別に一人でサバイバル能力を磨いたり、お金を貯めるのではなく、人の役に立つことが、生き残る上で非常に重要な視点だとぼくは思う。

前述の通り、自分が得意なことで、相手を喜ばせられればいいと話してきたが、それが仕事なのである。

大丈夫と言って、大丈夫か?

大丈夫になるためには食いっぱぐれないようにすることが重要。そのためには人の役に立つことが必要であることを解説してきた。

大丈夫というからには、それが人の役に立っており、食いっぱぐれる恐れがないことを保証しないと、大丈夫と無責任には言えない。

なんとなく大丈夫という言葉を使うのではなく、ちゃんと根拠があって、大丈夫と言って、その人を安心させることができるまでが、大丈夫という言葉を使う人の、義務だと感じる。

だいじょうぶ

以上

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