(86) 別に何か絶対的な正義があるわけではない

子どもがYoutubeで、ピクミンのゲームをやっている人の動画を見ていた。

そこでピクミンというゲームを初めて知ったのだが、案外忙しいゲームだった。3人(匹?)くらいのピクミンがいて、それらを効率的に動かしてゲームを進めていく。

Aというピクミンがこれをしている間、Bピクミンが暇になるので、他の場所で違う作業をさせておく。Cピクミンもまた別の作業をやらせておく・・・とその間にAピクミンの作業が終わるので、別の作業を振る。そうしている間にBピクミンが終わって・・・というのをずっとやっていく。

お手玉やジャグリングにも似ている。これらも2個までだったら結構簡単だが、3個になると急に難易度が上がる。

でも考えてみると、対空時間は一緒で、その間に2個投げるか3個投げるかなので、割り算をすると一つにかかる時間は短くなっていく。

ピクミンは効率化を目的として、どんどんピクミンの数を増やしていって、ゲームの難易度を上げていく。お手玉の数を増やしていくのと一緒だ。できるだけ1つにかかる時間を短くしていって、隙間時間を埋めていく。

これは効率化を目的とし、それをいかに短時間で済ますことができるかを目標としたゲームで、別に何も効率化が偉いわけでもなんでもない。

もちろんこれには頭の良さというか頭の回転を良くしなければ、数は増やしていけない。

ただ、大事なのは別にこれは効率化することが正義と定義しただけで、別に効率化することが、絶対的に正しいわけではないと思う。

別にゆっくりとゲームをしたり、無駄なことをしたっていい。

なんだかやはり思うことは、こうあらねばならない、これが普通だ、これが絶対的に正しいということが世の中強すぎるということだ。

えてして、生きること、より生存に結びつくことが正しいこととされる。

死に近づくと基本的に人間は痛みを発生させるようにしている。その痛みが嫌だから、その死に近づく行動をやめさせようとする。

では生きること、死なないことをずっとやっていくことが幸せなのかというと、そうではないと思う。

ずっと生きることだけを目的に自分の好きなことをせず、淡々と暮らす日々を、どうしても幸せだとは思えない。

答えは出ていないが、(いつまでも出ないのかもしれないが)なんとなく思うことが、この世の中には絶対的な正義はなくて、状況に応じてコロコロ変わるものである。今が楽しければいいと言うと、とても無責任な感じになるが、それでいいんじゃないかとも思える。

以上

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