(87) 人はなぜ怒るのか
このことについて考える時は、自分がイライラしたり、怒っている時を思い返すといい。
自分はどんな時にイライラするのか。
- 自分の思ったように、事が運ばないとき。
- ピンチな時。
- 自分とは明らかに考えが違いすぎて、驚くと同時に、そんな相手を許せないとき。
いろんなパターンがあると思う。
しかしえてして共通的に言えることは、こんな状態や事が許されてしまうことを、自分が許せない状況にあると思う。
つまり、そういう状況を野放しにしておいたら、自分が困ることになってしまうと言うことだ。
- 自分が思ったように、事が運ばなければ、自分が困ることになる。
- ピンチな時は、当然困っている。
- 自分と考えが違う相手との時は注意が必要だ。うまく事を運べないケースが多いし、ストレスがかかることになる。
このように、自分が困る状態に陥る、もしくは陥る可能性が高い時、強い反応を示すことで、拒絶を表す行為が、「怒る」と言う行動なのだと思う。
だから怒っている人を見たら、この人は今の状況が続くとまずいと思っている。もしくはそんな状況が通常になるのはおかしいと思っている、そんなことあってはいけないと思っている、とまず認識するようにしよう。ああ、この人はこれが嫌なんだなと。
その拒絶反応を示されたとき、行う対処は大きく分けて2つある。
1つ目はその人から離れること。その人がAというものを拒絶しても、自分にとってAは都合が良いものかもしれない。Aに対する認識が真逆にある場合、その人と一緒にいることはお互いにとってストレスがかかるものになる。
別にストレスが絶対的に悪いものだとは言わない。考え方が真逆にいるもの同士で、勉強になる部分もとても多いだろう。
しかし、学ぶ事が多い反面、先ほども言った、ストレスが非常にかかる。何かを得ている時、何かを失っているのだ。メリットだけ享受することはできない。
2つ目は、ストレスがかかってもいいから一緒にいることだ。しかし、これはストレスと言う苦痛を伴う。そのストレス以上にメリットが大きいから、それでも一緒にいようと思うのだろう。
ここで実は3つ目の策がある。それはお互い歩み寄ることだ。この世の中、どうしても一緒に事を運ばなければいけないケースも出てくる。嫌だからと言って、そんなおいそれと、相手を変えることはできない。
だから、歩み寄る。コミュニケーションを取って、自分の思っていることを言って、そして相手の言っていることもよく聞く。
これが片方になってはいけない。相手がずっと言いっぱなしで、自分の意見を相手が聞いてくれていなかったら、悲しいことだ。
怒っているときは大概余裕がなくなっているから、相手の話を聞くことは容易いことではない。もし自分の意見を聞いて欲しかったら、それなりのタイミングを見つけ出す必要がある。
あなたの意見はわかった。ただ私はこう思う。お互い協力し合いながら事を運ぶ必要があるのだから、自分の理想論を掲げるのではなく、現実的にWin-Winになるところを探そうと持ちかけるべきである。
世の中には、自分の意見を絶対視して、それを遂行するために相手を使い倒す人も多い。しかしそういった人は不幸である。なぜなら自分の目的を達成するだけでは幸せになれないからだ。自分も幸せ、相手も幸せな時、本当の幸せを手に入れる事ができると思う。自分だけの幸せを手に入れたと思っても、じきに新しい欲望が出てきて、それを達成するためにまた第三者を利用する。そんなイタチごっこに幸せはないと思う。
怒りに身を任せ、理想論を掲げる前に、自分のWinと相手のWinをしっかりと見定め、協力しあって生きていくべきだと思う。
以上
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