(92) 自分を責めるのは、自分に自信があるからだ

ぼくはよく、自分を責める。

なぜこんなことができないのか。

どうして途中でやめてしまうのか。

どうしてみんなはやれているのに、自分はできないのか。

色々な場面でそう思って、自分を責める。

それに悩んで、よくネットで「自分を責めない方法」とかで検索したりする。

その時によくヒットするのが、「不完全な自分を受け入れよう」とか、「他人と比べるのはよそう」とか書いてあるけれど、なんだか腑に落ちないという状態が続いていた。

しかし最近ふと悟ったことがある。それはひょっとしてぼくは、自分のことを「デキるやつ」だと思っているのではないかということだ。

ぼくは常々、自分の中には、人に基準をつけてジャッジしているという悪い癖があることを自覚していた。つまり、この人は仕事ができて、容姿もいいから上のクラス、この人は全然人の役に立ってなさそうだから下のランクと、人をカテゴライズするという、最低の行為を、無意識にやっていることに気付いていた。

しかしこれは絶対的に悪いこととも言えない。なぜなら人は自分にとって良い悪いをジャッジして生きてきたからである。条件によって態度を変えるのは普通なのである。

そしてぼくは自分のことを、100人いたら20〜30番台のところに座していると認識していると思う。自分の今のステータスを見て、全人口から見たら、上位20〜30%のところにいると認識していると思う。

こんなふうに書くと、自分がとても嫌なやつに思えて仕方ない。みんな平等だとか言っているくせに、実は人をランク付けしていたなんてひどい話だ。

そしてその上位2〜3割にいるぼくが、こんなことができないはずがない、できるはずだと思っているから、自分を責めているのではと仮説を立てている。

つまり、できるはずなのにできないなんておかしい。できるはずだ、だからもっと頑張ればできるはずと勘違いしてしまっているのだ。

そして合わせてぼくは気付いた。そうか、ぼくは別にできるやつではなかったんだと。

おそらくぼくは100人いたら、70〜80位くらいにいると思う。(まだぼくの人をランク付けしてしまう癖はなくならない。ひょっとするともう治らないかもしれない)

ぼくはとにかく足が遅かった。クラスで30人いたら、28番くらいだったと思う。それくらい足が遅かった。

ぼくはそれがくやしかった。その後ものすごく勉強をした。そうしたらクラスで1番になった。そして中学生の途中までずっと頭が良いキャラで通った。(事実、学力も高かった)

そして途中学力は下がるのだが、なんとか大学も入って、大きな会社にも入れた。

しかしぼくは仕事ができなかった。人に教えを乞うことも苦手だった。おそらく自分はできる人間だと思っているから、できないことを晒すことが耐えられなかったんだと、今だからわかる。

そこから社会人として10何年やって、流石にこれだけ同じことをしていくと、少しはできるようになる。それでぼくは自分のことをできるやつだと勘違いしてしまっていたんだ。

この世には自分より仕事ができる人なんて、星の数ほどいる。そこに勝負していくなんて、命知らずもいいところだ。

ぼくはできない人間なんだ。別にそれは悲観的な感じではなく、肩の荷が降りた気がしている。ぼくはできる人間ではない。でもそれでいいじゃないか。

これがよくネットで検索したら出てきた、「不完全な自分を受け入れる」ということなのかもしれない。所詮”できる”なんて、その括りの中での”できる”であって、それがそぐわないのであれば、自分の得意領域で精を出せばいい。

大事なのは、自分の不得意領域で、間違ったプライドに頼って無闇に頑張るより、自分の得意領域で、突き抜けることだと思う。

そしてできる、できないをカテゴライズしている暇があったら、自分の好きなことに集中した方がいいと思う。

以上

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