第8章 子どもとはなにか
今までの登場人物
・クウ
タール村に住む、心優しい青年。チョウリという職場で働いている。好きなことは絵を描くこと。自分の好きなことで暮らしていけないか、模索している。
・ケー
クウの友人。学校で教師をしているかたわら、アクセサリーの販売を行っている。多くの経験から、クウにアドバイスを施す。
・ダーヨ
偶然出会った占い師。昔は王国のお墨付きの大臣であった。奇抜なアイディアで人にアドバイスをする。少しひねくれているが、実はいい人?
・カナッサ
チョウリでクウと同じく、皮製品を売る仕事をしている。クウの先輩。男気があり、かつユーモラス。喫煙者。
・チェケラ
チョウリで、お金周りの管理をしている。目下のものに、マウントを仕掛けて来がち。
・チョウリ社 社長
チョウリの喫煙所にたまに出没。クウに一目置いている。
コップからこぼれる感情
「はぁ・・・」
気付けばまたクウは自分がため息をついていることに気が付いた。
ここはタール村にある唯一の図書館である。蔵書冊も500冊程度で、クウが働くチョウリがあるコンコルド街にある、中央図書館にはとても追いつかないが、クウにとっては憩いの場所である。
本はいい。本はこちらのペースで話を読むことができ、急ぐ必要がない。
もし難しくてわからない箇所があっても、読み飛ばせる。そして何年か経ってもう一度その本を借りて読んでみると、わかったりすることがあるから不思議だ。
クウは本という存在に、子どもの頃から触れており、その存在が好きであった。
「どうしたの?元気ないじゃない」
そう声をかけてくれたのは、図書の貸し出し業務を行っている、ゴシカである。ゴシカはクウより一回り以上年が上で、お姉さんというよりはお母さんに近いくらいの年代であった。
気前がよく、物事をはっきりというタイプで、図書館の業務をキビキビと回していた。
そう、クウは、休日に、自分の本と、あと子どもの本を借りに、図書館に来ていたのであった。
「あ、なんかわかります?元気ないの」
クウはゴシカに返答した。
「うーん、そうね。なんとなくね。クウくんの元気ない時は、すぐわかるからね。というか顔に出やすいというか、わかりやすいのよね」
すみません、と苦笑いをしてクウは答えた。
そう、クウが元気がない理由。また子どもに対して怒鳴ってしまったのだ。
クウは基本的に子どもをとても大事にしている方だと、自分でも思っていた。
子どもの言うことはできるだけやってあげたいし、注意する時はできるだけ平和的に解決したい。
だが、子どもというのは台風のようなもので、感情的に怒り出すと手がつけられないところもあるし、自分が仕事など考え事をしている時にそれをやられてしまうと、つい、「うるさい!」とか、「言うことを聞きなさい!」と、かえって自分がうるさいんじゃないかと後々振り返ると思う時がしばしばあった。
ただ、子どもから大声で泣き叫ばれると、どうしてもイライラとストレスが溜まってしまう。そうしてコップが満杯になって、水がこぼれてしまうように、感情が流れ出てしまうのだった。
「子どもが言うことを聞かなくて、つい先ほども怒鳴ってしまって・・・。それで勝手に落ち込んでいるんです」
「そういうことね・・・」
そう言うと、ゴシカは振り返り、事務所の方に向かって言った。
「館長、ちょっと休憩行ってきていいかしら?」
奥から暇そうな声で、「いいですよー」と声が返ってきた。
「今日は人もいないし、あとは館長に任せて少し休憩するわ。外のベンチで話しましょう」
ゴシカはそう言って扉を開けて外に出た。自然のいい香りがにおってきた。
子育ての正解
「そんなに気にすることないわよ、クウくん。私もどんだけ子どもたち悪ガキに怒ってきたか。心配しすぎよ」
そう言って、ゴシカは入れたての紅茶を口にした。だいぶお砂糖を入れてから飲んでいる。甘党のようだ。
「ゴシカさんも、結構子どもには怒ってきたんですか」
「当たり前よ、怒るどころじゃないわ。お尻くらいペンペンよく叩いていたわよ。まあ、そういう時代だったということもあるわね。でも私は本当に気が早いから、すぐカチンときてしまうのよね」
「なんだか、そういう時に、自己嫌悪みたいな気持ちにはならなかったのですか」
明らかにクウとゴシカでは性格が違う。優しくて物静かなクウと、気が強くてせかせかしているゴシカでは子育ての方針は違うだろう。それでもクウは聞いてみた。
「自己嫌悪・・・みたいな大層な気持ちにはならなかったけど、言い過ぎたかなと思う時はあるわよね、そりゃあ。でもそん時はムカっとしたんだからしょうがないじゃない。そんなに後でくよくよと考えてもしょうがないって、切り替えちゃうわね」
「いいですねぇ、、、ぼくもそうやって割り切れればいいんですが。もっと上手くてきなかったのかと、後悔してしまうんです」
まあ、その気持ちもわからなくないわね、と言って、ゴシカは紅茶の二口目を飲んだ。
そうしていると、図書館の扉が開き、男の人が入ってきた。太っているが、背が高い。白い髭を蓄え、メガネをかけている。少し猫背なそのかたは、この図書館の館長であった。
「館長〜。館長まで来ちゃったら、図書館の中、誰もいなくなっちゃうんじゃないですか」
ゴシカは館長を責めた。自分も休憩しているはずだが、クウは何も言わなかった。
「まあまあ。今日はお客さんもいないし、来たらすぐ戻りますからね。私も話に少し混ざらせてもらおうかなと思いましてね。それにしてもいい天気ですねえ」
そう言って、猫背な姿勢からぐーと伸びをして、さも太陽が気持ちいいというふうな顔を、館長はした。
「それで、子どもを叱る話でしたかね。クウさんでしたかね。わかりますよ、子どもを叱って後で後悔する気持ち。私も昔ありました」
「館長さんも、お子さんに叱ったりしたんですか?」
クウは尋ね、それに館長は答えた。
「ええ。今はこんなですが、昔は亭主関白の頑固親父でしてね。子どもにはそりゃあスパルタな教育をしたものです。それに仕事も忙しくてですね。日々イライラ、せかせかしながら生きていました。なので子どもへの当たり方も、かなり厳しくしてしまったと思います。そのせいか子どもがグレてしまいましてね。このタール村から出て行ってしまいました。今はどこで何をしているやら」
そうだったのか。クウはこの館長さんと話すのは初めてだったが、非常に温和そうで、優しいおじさんといった第一印象だった。それが昔はスパルタ教育をする父親だったとは、正直今のイメージからは想像がつかなかった。
「そこから私も随分と悩みましてね。自分のやり方がよくなかったのか。それとも私は正しくて、それに耐えられなかった息子の方がよくないのかとかね」
ゴシカも館長の話を聞いていた。3口目の紅茶はまだ口にしていないようだ。
「散々考えましたが、何が正しかったのか、今でもわかりません。いえ、結局正しいことなんてないのかもしれません。ただ一つだけわかったことがあります」
「それってなんだったんですか」
クウよりも先にゴシカが聞いた。館長はゆっくりと口を開いた。
「自分が子どもを愛していたかどうかです」
「愛していたかどうか・・・」
「ええ、結局私の教育は、私のわがままで、押し付けがましいものだったのかもしれません。それに良くないことに、仕事のストレスを子どもにぶつけていたのかもしれません。最低だったと今は思います。ですが、それでも『あなたは子どもを愛していますか』と聞かれたら、やはりイエスと答えると思います。親に必要なことは教育とかいうよりも、子どもを愛すことなのかもしれないと」
風がざあっと吹いた。葉っぱが舞い落ちる。気持ちの良い天気は続いていた。
「私はどうかなぁ、子どもの教育のこと。難しいことは私もわからないけど」
そうゴシカも話し始めた。
「私も子どもたちのことは大好き。目に入れても痛くないし、それこそ何かあったら命懸けで助け出すと思う。でもそれと同時に、本当に腹が立つ時もあるのも本当。子育てって本当に難しいわよね。でも子どもはそれでも勝手に大きくなって、巣立っていく。あとから見れば、本当にあっという間の出来事だったと思うわけ」
ゴシカはぐいっと紅茶を飲み干した。
「なんだかおばさんとおじさんの話ばかりになってしまって、ごめんなさい。ほら、館長も謝って」
ゴシカは館長に、謝罪を求めた。ごめんなさいと、館長は素直に頭を下げた。
クウは考えた。ぼくにとっての子育てとはなんだろう。子どもたちのことを本当に愛している。そこはゴシカと似ている気がしている。そして、腹が立つ時もあるというのもある。
そして昔の館長みたいに、自分が正しいと思ったことを子どもに押し付けてしまっていることもあると思う。それに仕事や他のストレスを、子どもに吐き出してしまっているんじゃないかと危惧するところもある。
クウは少し考えたあと、口を開いた。
「ぼくも子育てって本当に難しいことだと思います。仕事や自分の好きなことをやりつつ、自分とは違う存在と生きていく。ものすごいバランス感覚が必要な、ある意味仕事だと思います。
ただ仕事と違って、非常に感情的で私的な部分も持ち合わせていますよね。自分の血を引いているところだったり、家族だったりするところが。そういうやらなきゃいけないのに、話をちゃんと聞いてくれなかったりで上手く行かないところ、それでもやっていかなきゃいけない。それに家族だから、仕事と違って、『はい、やめた』とはなれないところ。そういうわけのわからないものに、親は直面するんだと思います」
「そうね、本とは違って、自分のペースで読めないし、読み飛ばすこともできない。じっと見据えて、時には待って我慢して、一緒に伴走しなきゃいけない」
ゴシカは独り言のように呟いた。
気づけば館長がいない。図書室の方に戻ったのであろうか。
そう思っていると、館長が図書室から戻って来た。手には一冊の本を持っている。
「それは?」
クウが尋ねると、館長は答えた。
「お子さんと読むと、良いかもしれません。おすすめの本がありましてね」
館長が持ってきてくれた本は、かわいいタッチの怪獣が描かれた本であった。
「これはどういう本なんですか」
「ひとりぼっちの怪獣が、本当は一人で寂しいのに、強がって、周りに危害を加えたりする話でしてね。それを見かねた町の人が怪獣を退治しようとするのです。怪獣を山に追い込み、とどめをさそうとする時、一人の少女がそれを止めます。彼にチャンスをあげようと。反省するんだったら許してあげようと。
それに心を動かされ、怪獣は人に優しくしようと決心します。最初は上手くいかず、町の人とトラブルになったりするのですが、じきに上手く行っていきます。そんな時、隣の村が攻めてきて・・・と話の展開もおもしろいんです」
そう言って、館長はクウにその本を渡した。
「なんでよりによってこの本なの?」
ゴシカは館長に単刀直入に聞いた。
「まあ、純粋におもしろいというのもあるのですが、実はこれをお子さんと一緒に読んで欲しいのです」
「一緒に・・・ですか?」
「そうです、いわゆる読み聞かせです。私が唯一子どもにしてあげられてよかったなと思うのが、読み聞かせです。職業柄、本には多く触れていたのでおすすめの本を読んであげていました。子どもは毎晩私に本を読んで読んでとせがんだものです。その時間はあとから思うとかけがえのない時間でした」
「読み聞かせ、確かにいいわよね。私も子どもが小さい頃はしてあげていたわ。まだ字が読めない時はね。なんだか子どもって、その時のこと、よく覚えているのよね」
読み聞かせ。それは子どもと親の二人だけの空間と時間なのかもしれない。
子育ての正解なんてわからない。そもそも正解なんてないかもしれない。
だがクウは、館長が言っていた、子どもを愛する気持ちと、子どもと二人だけの時間を作ることは、何よりも二人にとっての大切な思い出になると信じてやまなかった。
クウは二人にお礼を言って、ゴシカが入れてくれた紅茶を飲み切った。そして館長から貸してくれた怪獣の本を持ち、背筋をまっすぐにして、うちに帰るのであった。
クウは正解を求めない心を手に入れた!
以上

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