第9章 許せないとはなにか
今までの登場人物
・クウ
タール村に住む、心優しい青年。チョウリという職場で働いている。好きなことは絵を描くこと。自分の好きなことで暮らしていけないか、模索している。
・ケー
クウの友人。学校で教師をしているかたわら、アクセサリーの販売を行っている。多くの経験から、クウにアドバイスを施す。
・ダーヨ
偶然出会った占い師。昔は王国のお墨付きの大臣であった。奇抜なアイディアで人にアドバイスをする。少しひねくれているが、実はいい人?
・カナッサ
チョウリでクウと同じく、皮製品を売る仕事をしている。クウの先輩。男気があり、かつユーモラス。喫煙者。
・チョウリ社 社長
チョウリの喫煙所にたまに出没。クウに一目置いている。
・ゴシカ
タール村の図書館で働く女性。クウのお姉さん(お母さん?)のように、厳しくも暖かく、見守る。
・タール村図書館 館長
タール村の図書館の館長。基本暇をしている。昔はバリバリの教育パパであったようだ。
・チェケラ
チョウリで、お金周りの管理をしている。目下のものに、マウントを仕掛けて来がち。
チェケラの苦悩
なんでどいつもこいつも使えない奴らばっかりなんだ。
チョウリで働き、お金周りの管理や、部下の教育も行なっている、チェケラは悪態をついた。
ここ数年で、チョウリの業績は確実に悪化していた。チョウリでは職人が作った革製品を、近くの村々に販売していたが、その販売量が下がっていた。
原因は既存の皮製品に慣れていたのと、かなり耐久性が高いので、なかなかリピート購入が伸びないのが原因だった。
いっそのこと、もっと耐久性を低くして、すぐに壊れる製品にすればいいのではないか。
そうすれば、もっと次購入するまでのサイクルが短くなり、チョウリ社の売り上げが伸びるのではないか、そんなことまで、チェケラは考えていた。
チェケラがチョウリで働いて、もう20年が経とうとしていた。
チェケラはタール村というところの出身であった。
父親は人にお金を貸す仕事をしていた。人にお金を貸すというのはものすごくストレスがかかる仕事だ。もしかすると返してくれなかったり、逃げ出すかもしれない。それで父親はいつも不機嫌でイライラしていた。
また性格も非常に厳格で、本当に怖い存在であった。またこうしろああしろという指示がとにかく多く、それが嫌で、タール村を出て、この、チョウリがあるコンコルド街に出てきたのであった。
そんな恐れの存在であった父親だが、夜寝る前に必ず本を読んでくれた。それが子どものチェケラにとっては何よりも楽しみであった。今は金貸しの仕事はやめ、なぜか図書館で働いているらしい。人間、変われば変わるものだ。
そんなことはどうでもいい。今は目先の売上のことが大事だ。どうにか今年中に売上を少なくとも昨年ベースに戻さなければいけない。
チェケラはノートを広げ、帳簿の計算をし直した。
しかし仕事をしていても、イライラが募ってくる。なんで俺だけがこんな苦労をしなければいけないのか。もっと他の奴らが製品を売ってくれれば俺はこんな辛い仕事をしなくても済むのに。
俺は悪くない。悪いのは他の全員だ。
イライラしていると、ギュッと心臓が痛くなった。慌ててチェケラは医者から処方されている薬を飲んだ。ストレスが急激にかかると、胸が痛くなり、呼吸がしにくくなるのだ。水で薬を飲んで少し落ち着いた。
もう真夜中で、チョウリ社の中には自分一人しかいない。
誰も自分を心配してくれない。なんだかチェケラは疲れてしまい、急にふるさとのタール村に帰りたくなった。
「チェケラさんが少しの間、休むらしいぜ」
そう言ってきたのは、チョウリ社で、クウの先輩である、カナッサだった。
そう、クウの仕事周りの管理をしてくれているチェケラがしばらくの間休むと、さらに上の人から先程連絡があった。あんなに仕事人間だった人がどうして。クウは自分が仕事ができないせいで、心労をかけてしまったのではないかと不安になった。
「まあ、あの人頑張りすぎていたからな。人間、休みも大事だよ。休み方を知ってないと、息切れしちゃうからな」
そう言って、カナッサはタバコを吸いに、外に行ってしまった。
上の人から聞いて初めて知ったのだが、チェケラもタール村の出身だったらしい。クウと一緒だった。しかし、チェケラのことは全然知らなかった。村といえども500人くらいはいるから、知らない人もたくさんいる。どこに住んでいたのだろう。クウは不思議に思った。
ふるさと
ふるさとに帰るのは20年ぶりだ。コンコルド街に出てそこから一度も帰ってきていない。
チェケラはタール村に帰ってきていた。なんだか疲れてしまって、もうどうでも良くなってしまっていた。チョウリ社に連絡をし、2、3日休むことにしていた。
ふるさとは変わってはいなかった。厳密にいうと、少し建っている建物とかは変わっているが、子どもの時に見た風景とそこまで変わっていない。
チェケラは家に帰った。しかし誰もいない。父も母も仕事に出ていた。父の方は今は図書館で働いているらしい。
チェケラは父のことが気になっていた。あれだけ仕事熱心で、厳しかった父親が、なぜ仕事をやめ、今は図書館で働いているのか。チェケラの足は自然に、タール村図書館の方に向いていた。
図書館も変わっていなかった。昔ながらの木で作られたしつらえで、光が入ってくるのが美しい。図書館にはほとんど人はいなく、カウンターには女性が一人座って、図書の整理業務をしていた。
「こんにちは」
その女性はチェケラに挨拶をした。
どうも、という感じで、チェケラは軽く会釈をした。
「見ての通り、ほとんど人はいないわ。最近は本を読む人が減ったのかしらね。あなた、今日仕事はお休み?ゆっくりしていきなさいよ」
よく喋る女性だな、とチェケラは思った。ただここで、父親を呼び出すのはなんとなく気が引けた。
仕事をしている最中だろうし、それを邪魔するのはなにか気が引けた。まだチェケラの中では怖い父親の存在が残っていた。
「ゴシカさ〜〜ん」
聞いたことのある声が聞こえた。
そしてカウンターの奥にある扉から男が出てきた。
一瞬わからなかったが、それはチェケラの父親だった。だいぶ太って、白髪になったが、それでも自分の父親だった。
「チェケラ・・・。お前、なぜ・・・」
父親の方が驚いた様子だった。自分の仕事場に、20年以上前に出て行った息子がやってきたのだ。そりゃあ驚くだろう。
「なに、あなたたち知り合い?」
ゴシカも驚いた様子で、二人を見比べた。
「あら、あなたたちそっくりじゃない。もしかして、前に言っていた、館長の息子さん?」
ゴシカはすぐに合点がついたようだ。
父と息子は図書館の外で、少し話すことにした。
思い出
二人はベンチに腰掛けた。
二人の間に、非常によそよそしい空気が流れた。
そもそもものすごく怒られながら育ったため、潤滑なコミュニケーションというのを、チェケラは父親としたことがなかった。だから20年経った今も、何を話したらいいのかわからなかった。
「急に驚いたよ。帰ってきてくれたんだな。仕事は今何をしているんだ」
図書館の館長である父は、チェケラに聞いた。
「別に・・・コンコルドで、普通の仕事をしているよ」
「結婚はしたのか?」
「まだしてないよ、別に、やる必要もないし・・・」
「そうか・・・」
そこで一旦会話が途切れた。
二人は並んで座っていた。だから横目でチラチラと見るだけであったが、父親は本当に人が変わってしまったようだった。
昔のような高圧的な雰囲気は一切なくなり、今は人のいいおじさんといった形になっている。
「父さんは、どうして図書館で働いているの?」
チェケラは気になっていたことを聞いた。それを聞きに、図書館に来たようなものだった。
「私か・・・?そうだな。なんだか金貸しの仕事に疲れてしまってね。
あの仕事はお金という数字としてはっきり出てしまうものを扱う仕事なんだ。そしてそれが大きくなったら会社から喜ばれるし、少なかったら怒られる。なんだか数字に振り回されるのがバカらしくなってしまってね。それでやめてしまった。母さんは応援してくれたよ。
そして、好きな仕事、図書の仕事についたんだ。昔から本は好きだったからね。もうお前も出ていってしまったし、母さんも仕事をしている。もう自分の好きなことをやってもいいのかなって思ったんだ」
そう、父親は本が好きだった。仕事は忙しかったが、本は読んでいたイメージがある。
「いいね、好きなことを仕事にできて」
チェケラは幾分嫌味を含めて言った。
「お前は、好きな仕事ではないのか」
「好きなもんか、仕事なんて。生きるため、食うためにやっているんだよ。父さんみたいに、甘くないんだよ」
チェケラはつい攻撃的に言ってしまった。今の父親は昔の怖かった父親と違い、老いている。自分の方が強い。それを自覚すると、途端に強気に出れることにチェケラは気がついた。
「まあ確かに・・・。父さんは恵まれていると思う。好きなことを仕事にできて、このタール村で母さんと過ごせていることがな。そういえばお前は昔・・・」
図書館の館長でもある、チェケラの父親は遠い目をして言った。
「絵を描くことが好きだったよな」
チェケラはそれを聞いた途端、とても恥ずかしくなった。自分の歴史から抹消したい出来事の一つだった。
「やめてくれよ、そんな昔の話」
「いいじゃないか、私はお前の絵は実は好きだったんだ。そんな恥ずかしいこと、当時は言えなかったけどな。タッチが独特というか、さすが私の息子だと思ったんだ」
「やめてよ・・・」
「いやいや、謙遜することはない。家にも残しているんだ、お前の絵を。たまに母さんと一緒に見ることがあるんだ。ついこの間も・・・」
「やめてよ!!!」
ついチェケラは大声で叫んでしまった。
しいんと場が静まる。館長はきょとんとした顔をしていた。
今更なんなのだ。自分いい父親だったと言いたいのか。自分は子ども時代に圧迫されて育った。それに絵のことも、他のことが大事だからと疎遠にしたつもりだったのに、実はそれが好きだっただと?もういい加減にしてほしい。ここに来たのは間違いだった。
「ごめん、もう行くよ」
チェケラは立ち上がって、足早に去っていった。
さよなら
タール村に唯一ある駅で、列車を待っていた。
チェケラの心は沈んでいた。来なければよかった。父親に会わなければよかった。
父は変わっていたのだろうか。なんとなく深層は昔と変わっていなかった気がする。風貌は変わっているのかもしれないが、心の奥底にあるものは昔と変わっていない。それがいいことなのか、悪いことなのか、チェケラにはわからなかった。
もうすぐ列車が来る。待っていると、後ろから一人の女性が走ってきた。
「待って!」
どこかで見たことがある。図書館のカウンターにいた女性だった。ゼエゼエと肩で息をしている。ずっと走ってきたのだろう。
「待って・・・あー疲れた。ちょっとあなたに言いたいことがあるの」
「なんですか」
怪訝そうな顔でチェケラは言った。もう一刻も早く、ふるさとから脱出したかった。
「別に親子の問題に他人の私が口を突っ込む気はないけどね、人は完璧じゃないのよ」
「完璧じゃない?」
なにかお説教が始まる気がして、チェケラは辟易した。
「そう、完璧じゃない。館長だって一人の人間。完璧じゃない。父親としても完璧じゃない。そもそも完璧なものなんてない」
「それが私とどう関係があるというんですか?」
冷たい目でチェケラはゴシカに話した。もうどうでもいい、全ては間違いだったんだ。
「チェケラ!」
気がつくと、父親もゴシカの後ろにいた。彼も肩でぜいぜいと息をしている。無理をして・・・。チェケラは憐憫の気持ちを覚えた。
「もう俺は帰るよ」
チェケラは父親に言った。
父親は黙っていた。何かを考えているらしい。そしておもむろに口を開いた。
「ごめん」
それはチェケラにとって予想外の言葉であった。それにごめんという言葉は、父親から初めて聞いた言葉だった。
「チェケラ、すまなかった。昔、子どものお前に冷たく接して。言い訳になってしまうが、仕事でうまくいかなくて、お前に当たっていたところもあったと思う。
でも本当はお前のことを愛していたんだ。本当に。それに今でもお前のことを愛している」
チェケラは自分の目が潤んでいることに気がついていた。
「いつでも帰ってきていいから。体には気をつけてな。母さんと会えなかったら、今度は休みの日に帰ってきなさい、いいな」
「ああ・・・」
チェケラはそれだけなんとか口から絞り出した。
その時列車がやってきた。扉が開く。そして列車にチェケラは乗った。
さようなら。そう言おうとしたとき、チェケラの胸から言葉が飛び出してきた。
「・・・俺は寂しかったんだ。もっと父さんと遊びたかった。二人でいろんなところに遊びに行きたかったんだ。でも父さんは厳しくて、怖くて、なんか近寄れなかった・・・」
チェケラの目からは大粒の涙が流れていた。
館長の目からも涙が流れていた。そして笑顔でこう言った。
「また帰っておいで。いつでもいいから、待っているから」
そして列車の扉が閉まり、動き出した。
父親とゴシカの姿がどんどん小さくなっていく。
チェケラは涙を拭いて、一度深呼吸をした。
なぜか心は晴れやかであった。そして不思議なことに、ここに来てよかったと、自分の感想が180度変わっていることに、少し驚いたのであった。
以上

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