(83) 下を向いて歩くことのススメ
よく、目標を持って行動しようとか、
もっと上を目指して行動していこうとかいう話を聞く。
しかしぼくのポリシーは逆である。上は目指さなくていい。もっと自分より下を見て、もっと今に満足して生きた方がずっと幸せだと思っている。
こんなことを言うと、向上心がないとか、頑張る気がないとか思われると思う。
そこで今回は上を目指して生きていく人生と、下を向いて生きていく人生、どちらが幸せなのかについて、少し話をしていきたいと思う。
これはあくまでぼく個人の見解なので、絶対にこれが正しいとか言うつもりは毛頭ない。一個人の意見ということで、聞いてもらえれば幸いである。
上を目指す人
まず、世間から重宝される、上を目指してどんどん成長をしていく人というのはどうなんだろうか。
目標を立て、それに向けて行動し、いつかその目標をクリアする。
ある目標をクリアできたら次の目標を立て、またそれに向けて頑張っていく。
その人はどんどん成長していくだろう。
しかしぼくはこのやり方が全然性に合ってない。
そもそも、どこまで頑張ればいいのかが明確ではない。
目標を立て、それをクリアし、また次の目標を立てとやっていっても、最終的な目標はいつまでもやってこない。永久に目標はあり続ける。
もちろんこういうふうに、目標を立ててクリアして、また次の目標を立てて頑張ることが好きな人もいるだろう。
そういう人は大いにこのやり方で人生を謳歌すればいいと思う。
しかし少なくともぼくはこのやり方だと、いつまで頑張ればいいのかがわからなくなり、上を目指すことをやめてしまうのだ。
あと上を目指して頑張ることのデメリットは、目標を達成することが全てになってしまい、それ以外のことが全て”障壁”に見えてしまい、イライラすることが多くなってしまうことだ。
できるだけその目標に最短ルートで辿り着くことが目的なので、少しでも予定外のことが発生してしまうとイライラしてしまう。
ぼくのように子どもがいたりすると、想定外のことが起きることがしょっちゅうで、それでイライラしても、なんだか子どもたちに悪い気がする。そういうこともあって、あんまりカチッと目標を決めてしまうことに抵抗感があるのだ。
下を向いて生きていく
下を向いて生きていくとは、自分より下の基準で生活をしている人や物を見て、比較して今の自分がとても恵まれていることを自覚し、幸福感を得るというやり方である。
こういうふうに書くと、下の人間を見て満足感を得るという、非常にえげつない生き方のように見える。
しかし人間は比較する動物である。同じ水でも砂漠で飲む水と、クーラーの効いた部屋で飲む水では雲泥の差がある。前者の命の水、後者はぬるい水と感じる。
どんなに綺麗な女性に会ったとしても少ししたら飽き、もっと美しい女性に惹かれたりする。
人間は”絶対”ということがなく、流動的である。変わることができるから、環境に順応できるとも言える。だから人間は知覚できる物体を比較し、どちらが自分が生きる上で最適解かを見定め、選択をするのだ。
上を目指して生きてしまうと、どうしても自分の基準より上の人を見てしまい、自分がそれより下の人間のように思えてしまう。だから頑張ろうとするのだが、前述したようにどこまで頑張ればいいのかの制限がないから、ぼくはやる気を失ってしまう。
一方下を見て生きる人生だと、もっと自分より大変な生活を送っている人がいるとか、もっとひどい目にあっても良いはずなのに、今の自分は健康で生きていられているということに気づくことができ、安心感を得られる。
ここで断っておきたいことは、別に自分の基準に照らし合わせて下の基準にいる人たちを見下しているわけではないということだ。
あくまで自分の基準に照らした時に、自分より下位に所属している人たちがいる。そういったピラミッドの中での自分の立ち位置を自覚しているだけだ。別に下位の人たちを軽蔑したり、リスペクトしていないわけではない。
鶏口なるも牛後となるなかれとはよく言ったものだ。その通りだと思っている。幸せは流動的で相対的。絶対的な物ではない。上を見ると自分は下位だが、下を見ると自分は上位にいる。
こうなると、成長意欲がなく、生き残っていけないのでは、という質問をもらうかもしれない。
また劣悪な環境なのにそれに甘んじ、自分の人生を棒に振るのではと思うかもしれない。
しかし、自分は恵まれていることに自覚できた人間は違う。考えが自由になり、「断る」ことができるようになってくる。
別に成長したければ成長すればいいし、その劣悪なところから逃げ出したかったら逃げ出せばいい。
自分に自信がつくからこそ、自由に行動できるようになる。
どうしても自分の方が劣勢だと認識してしまうと、行動が消極的になる。まずすべきことは自分より下位を想定することにより、今の自分が恵まれていることを自覚する、感謝する。
カリカリと上を目指すより、現状に満足し、自由に生きる方が、ぼくの性には合っている。
以上
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