(85) 生きるために、生きない
要は、生きることは”手段”だということを言いたい。
生きることは、何かを成し遂げるための、手段だと言いたい。
もちろん、この世の中には、生きることができないで、亡くなってしまう方も大勢いることは知っているつもりだ。
まず生きるということが、生物である我々人間の、主目的だということも理解しているつもりだ。
ただ、やはり人間だけは、生きるだけを目的にせず、違う目的を打ち立てることができる、唯一の存在なのだとも思う。今日はそんな話をしていきたい。
生きる目的
生きる目的は人の数だけあると思うが、本能としては「生き延びて子孫を残すこと」が人間として、生物として頭の中にインプットされているのだと思う。
だから日々生きている中で、今までの経験上、危ないと思うものは”嫌”という反応を示すように体の造りがなっているし、それに基づき、行動をしているのだと思う。
しかし、その”好き嫌い”で動いていくと、段々と人生がつまらなくなってくる。
例えば仕事をするのが”嫌”だったとする。しかし”生きる”ためには仕事をして給料を得なければいけない。だから働く。
こういうロジックで動いていると、段々と世界が灰色になっていき、人生がとてもつまらないものになっていく。ではどうすればいいのか。
まずそもそも認識しなければいけないのが、何かを得るためには何かを捨てたり、痛みを伴わないといけないことを知るべきだ。
先ほどの仕事の例で言えば、仕事はしたくないけどお金は欲しいと言っているようなものである。そんな都合の良い話はない。大変な思いをするからその代わりに対価を得られるのだ。両方得られるということはない。
何かを得たいけれども、多分この行動をすると自分の生命に危機があるかもしれない。
ではここで考えておきたいことだが、そんなにしてまで生きなければならないのか?
もちろん生きることは非常に重要なことだが、それだけを目指していると、疲れてしまう。それよりも大事にしたい自分としての目標を決める必要があるのだ。
自分としての目標
この、自分としての目標を、「自分で作る」ことが非常に重要なことなのである。これは誰も決めてくれる訳でも、人間として生まれたからの本能によるものでもなく、自分で作り、設定するものである。
ちなみにぼくの目標は、「ぼくの夢」という記事の中でも書かせてもらったが、簡単に言うと、自分がやりたい、やろうと思ったことを、実現できる社会を作ることである。
しかしそうなるとやりたい放題やる人も出てきてしまうと思うから、ある程度自由に人が行動できるようになったら、それを制限するルール作りにも着手していきたいと思っている。
これはあくまでぼくの一例だが、どうすればこういった自分なりの目標を作ることができるのか。
これには、まず一旦自分のやりたいことを紙に書き出すことをおすすめする。ちなみにこの記事を書いている時に、自分のやりたいことを書き出したのが以下である。
見ているとおもしろいのだが、まず個人的なやりたいことから先に書き出される。
休みたいとか遊びたいとか、好きなことをしたいとか、そういった個人的なことである。
それが書いて満たされると、次に自分の周りを変えていきたいという欲が出てくる。
そしてそれを成し遂げるためにはリスクをとることも必要になってきて、それを超えるために必要なのが「勇気」なのだと思う。
この「勇気」が生きる上で何よりも大切なものだと思っている。人間の一番の主目的である生きることの優先順位を下げてまでリスクを取れるか、それをするためにはその自分で作った目的を成し遂げると言う強い気持ちも必要だし、飛び込む勇気が必要なのである。
別にいきなり大きな勇気を持つ必要はない。少しずつでもいいから、自分のやりたいことを、多少怖くてもいいからやってみる。そこからなのである。
以上
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