あるべき姿とは

前に使っていたホームページが、記事の上限数に達してしまったため、思い切って、ホームページをリニューアルしてみました。

まだ、工事中、みたいな状態ですが、記事はこちらの方で書いていきたいと思います。

さて、今回話をさせてもらうお題は、「あるべき姿」というものです。

僕はこの「あるべき」という考え方について、今までも何度か論じてきています。

ただ最近、また違った観点から考察することができたので、そのことをシェアしたいと思います。

まず、この「あるべき」という考え方なのですが、例えば、

  • 父親だったらこうあるべきだ
  • 社会人とはこういうものだ
  • 若手とはこういうものだ

と、”あるべき姿”、つまり理想像みたいなものが決まっているものを指しています。

僕はこの”あるべき”志向がとても強かったです。

こうしないといけない、逆に、こうしないと仲間外れにされる、そんな恐怖心から行動を起こしていました。

これを読んでいるあなたはどうですか?なにかに縛られて行動をしている気にはなりませんか?

前述の通り、僕はこの傾向が強く、不自由さを感じながら生きていました。

そんなときふと、なぜ自分はこんなにあるべき論に縛られながら生きているのだろうかと思いました。

ここから僕の父親のことに触れるのですが、前提として、僕は父のことを尊敬しています。

優しくユーモアに溢れ、家族のムードメーカーである父を尊敬しています。それは大前提にあることをご理解いただき、前に読み進んでもらいたいと思います。

僕は小学生くらいのころ、近くにO君という仲の良い友達がいました。

僕はマンションに住んでいて、そのO君の家はおそらく貸し屋で、かなり年季の入った家に住んでいました。

僕とO君は本当に仲が良く、僕はO君のことが大好きで、すっかり心を許していました。

そんなとき、多分休日だったと思いますが、父と近所に出かけ、O君とO君のお母さんに出会いました。

僕と僕の父と、O君とO君の母親の4人で、道端で少し会話しました。

その会話の中で、O君の家がどこにあるかという話になり、僕は父に教えてあげました。

「あそこだよ、あそこのボロい家!!」

その時思いっきり父親に殴られました。

父に殴られたことのなかった僕は、記憶にはないですが、思いっきり泣いたでしょう。

今思えば僕もO君の家に遊びにいった時、心のどこかで思っていたのでしょう。

ここの家はなんか古いしボロいな。でもそんなことO君に言ったらかわいそうだ、だから直接言うのはよそう。

でも父に教えてあげたくて、つい口を滑らせてしまったのでしょう、僕の本音を。

それから自分の言動をそのまま出すことを封印してしまう、大きなきっかけになったと思います。

もちろん他の色々なことも関係していると思いますが、自分の中では大きな出来事だったのだと思います。

自分の思ったことをそのまま発してえらく怒られた経験をした僕は、自分の意見をそのまま言うことはよくなく、あるべき姿、言動をしないと怒られると言うことをここでインプットしたのだと思います。

ここから”あるべき姿”をとても意識して行動するようになったと思います。

ですが、父は別に間違ったことをしたとは思っていません。

まあ殴るのはちょっとやめて欲しかったですが、失礼なことを言っているわけですからね。

僕が親で、自分の子どもがそんなこと言ったら、やっぱり僕も何がしかの形で注意すると思います。

ここで重要なことは、”あるべき姿”が決まってしまうと、その枠組みに何とか入ろうとして、自分を歪ませてしまうと言うことです。

クッキーとか焼くときに金属の型でくり抜いたりしますが、ちょうどあんな形で、あの金属の枠組みに、自分を切り抜いていくイメージです。

枠組みにうまくはまると安心感を得られますが、もしうまくはまらないと焦燥感に駆られますし、そもそも”自分らしさ”というものがどんどん薄れていきます。

そして型の通りのものが量産されていくのです。

この量産の考え方も、統率を取るとかそう言った意味合いだと良いとは思うのですが、個人にフォーカスしたときには、あまり良いことではないと考えています。

多少いびつでもそれが自分なのですから、そのままでいいと思うのです

もし少し形を変えたいなと思ったら、そのとき変えればいいわけです。

もし型にはまらないと受け入れてくれないのだったら、そこからは距離をおきましょう

そして自分をありのままで受け入れてくれる場所を探しましょう。無理に型にはめる必要はないのです。

もし僕があの時の父と同じ立場だったら、自分の子どもになんというか。

おそらく子どもと同じ目線になれるようにしゃがみ、

ボロい、という言葉にはマイナスのイメージがあることを伝えます。

それを理解してくれたら、相手に謝れるか、話をしてみると思います。

これが例えば”父親”としてあるべき姿なのかは、僕には関係がありません。

僕は僕が思った正しいことをする。正解なんてこの世に存在していないのですから、自分が思った正しいことをするまでだと思います。

今回はこんな感じで締めたいと思います。

何か、読んでくれたあなたの気づきになれば幸いです。

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