歴史(2)ルネサンスまで 

今回は、前回の続き、有史から4大文明、ギリシア文明、古代ローマの時代までを振り返ってみた。

今回は、ゲルマン人の大移動からやってみたいと思う。

ゲルマン大移動

大きくなりすぎた古代ローマ、そして東西で分かれたローマ。そんな中、また北の方から民族が攻めてくる。

それがゲルマン人だ。西ローマ帝国はゲルマン系のフランク族というところにやられ、フランク王国となる。これが今のフランスの元の国である。

フランク王国は西ローマを征服したが、国教であるキリスト教を弾圧しようとしなかった。逆にうまく融和しようとした。しかし文字や言葉が通じないフランク族に中々キリスト教を理解してもらえない。その中でキリスト教はついに奥の手を出す。それが偶像崇拝だ。

古代ローマのオクタビアヌス帝の時でやったように、キリスト教は神以外を信じない。そして神というのは自分の心の中にいるもので、現世で像や絵によって描かれないと信じられていた。

しかしそれではフランク族にキリスト教が理解してもらえない。そのため西ローマの方ではこの禁じ手の偶像崇拝や宗教画が特例的に認められ、描かれていくことになった。

そしてついにバチカンも認め、962年に神聖ローマ帝国として建国される。

この西と東のローマが分裂した際、キリスト教も2派に分かれる。西がカトリック、東がギリシア正教会となっていく。

十字軍遠征

1000年から1300年くらいまで、バチカンが主に率いて、東のエルサレムを奪還しようと、十字軍を遠征させる。

計8回も派兵されるが、段々と意味合いが曖昧になってきて、お金を消費し、現地の人に残虐な行為をするなど、目的が失われていった。

ちなみになぜエルサレムを奪還しようと思ったかというと、ここがキリスト教にとって聖地だったからだ。イエスが十字架に磔となった場所であり、信者にとって非常に重要な意味を持つ場所となった。

一方、イスラム教にとってもここは大事な場所で、預言者ムハンマドが天に旅立った場所とされている。

またユダヤ教にとっても重要な場所で、嘆きの壁がある。

このように3宗教が同じ場所を取り合っている状況がある。

これを取り返そうとしたのが十字軍遠征だ。

結果はさんさんたるものであったのにも関わらず、当方からペスト菌まで西に入り込ませてしまい、多くの死者を出してしまう。

多くの死者が出る中、キリスト教に頼みこむも、聖職者は逃げてしまい、キリスト教は当てにならなく、宗教心が徐々に失われていってしまった。

そんな中、十字軍で財政難になったバチカンは、罪が軽くなるという贖宥状を、高い金で売りつけることもしてしまう。

十字軍遠征での疲弊、病気の蔓延、明らかにおかしい行為を働くバチカン。

そんな中起きたのがルネサンスであった。

ルネサンス

ルネサンスが起きたのは1500年代。

まずドイツのルターという聖職者が、贖宥状なんて出すのは聖書に書かれていないこととして、反発活動を開始。のちにスイスのカルバンがそれに続く。

まずその時発明された活版印刷(アルファベットを一文字ずつ刻印できるスタンプのようなものを作り、それを並べてインクをつけて押して印刷する)を使って、それまでラテン語で書かれて難しく、民衆には読めなかった聖書をフランス語やドイツ語にして印刷して配りまくる活動を開始(宗教改革)。

これで、今の教会がやっていることはおかしいと気づき始めた民衆は、プロテスタントと呼ばれる。

ここで美術の領域も、今までは描かれても宗教画一筋だった頃から、昔のギリシアに戻ろうとする、一種の懐古主義的な活動が始まり、ギリシア風の、調和の取れた人間性豊かな作品が生まれるようになる。

こうして、今までキリスト教が覇権を握っていた時代から、その弱体化に伴い、プロテスタントがそれに対抗するところまでを書いた。

次回は、そういった古い時代に立ち向かう若い力がどこに進むか。

それが大航海時代の始まりだったのである。大航海時代については次回に書くとする。

以上

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