(113) 優しい人とはどういう人か

優しいの右の部首の「憂」は憂う、つまり、誰かのことを心配するということだ。

それににんべんがついているのだから、心配をする人が優しい人なんだと思う。

ではなぜ心配をするのか。それは自分がその相手の立場になったことがあるからではないのか。

例えば不利な状況の中に相手がいるとして、それを自分が当事者ではなく傍観者の立場の時を考えてみる。

昔は当事者としてその不利な立場になったことがあるから、よくわかる。その時の焦りや孤独感、つらさなど。だからそれを客観的な立場から見た時、心がひどく痛み、その人を助けてあげたいと思う。

これは、昔のつらかった自分を助けたいという気持ちから来ているのではないだろうか。

そしてもう一つ言えることは、昔つらい立場にあったということは、それを跳ね除ける力は当時なかったということかもしれない。

つまりとても強い状態にあったわけではなく、比較的弱い立場でその状況を打開できなかったため、つらい立場にあったと言えると思う。

だから優しい人は当時弱かったということになる。ここで2つの分岐に分かれるのだが、昔は弱かったが今は強くなった人と、今も変わらず弱い人という分類だ。

おそらく今も変わらず弱い人は客観的な立場に変わっても、昔の自分を見ているようでつらい気持ちにはなるだろうが、果たしてその人を助ける行動まで行くだろうか。

ぼくの見立てでは、多分助けることはできないんじゃないかと思う。今度また自分がつらい立場に立たせられるかもしれないという、自己防衛反応が働き、助けないんじゃないかと思う。

だから、優しい人とは、過去のつらい自分と同じような立場の人を見た時、それを見て見ぬふりをするのではなく、助けることができる人のことを言うのだと思う。つまり、昔は弱かったが、今は強くなった人が優しい人なのだと思う。(なので優しい人の定義は、相手のことを思いやることができ、かつ、それを助ける人のことを指す)

気弱な人、オドオドしている人との違い

ここでよく、優しい人と混同されがちなのが、気弱で、あまり自分の意見を言えない人や、何か問いただされた時にオドオドしてしまう人のことだ。

優しい人は昔は弱かったので、基本相手を傷つけることを嫌がる。なぜなら自分が傷つけられたという認識が過去にあるため、そういった攻撃行為を、自分も行うことを本能的に避けるからだ。

そのためどうしても自分の意見を無理やり通したり、語気強く論調したりすることを避けたがる。もし自分の意見によって相手を傷つけてしまうことを、避けるためだ。

また基本的に優しい人は実直で素直で純粋であるため、相手に指摘されると「そうかもしれない」と真に受けて、心が乱れることが多い。これらはどうしても優しい人の性格に付随しがちな要素のため、避けることが難しい。

優しい人のまとめ

ぼくは優しい人が一番いいと、言うつもりは毛頭ない。

優しい人は基本的に弱い人を助けがちという性質が強い。それは良い面だと思う。

一方他人の意見に流されがちと言う一面も持っていると思う。

大事なことはいいか悪いかは置いておいて、そういう性質であると言うことをまず受け止める。そしてそう言う性格なのだから、それを直すとか考えるのは、本筋ではないと思うと言うことだ。

以上

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