今日もブログを読みにきてくれてありがとうございます。
今日は「あきらめる」ことについて、話していきたいと思います。あきらめると聞くと、なんだかネガティブな印象を持っていませんか。
ぼくはずっと持っていて、あきらめるのは悪いこと、根性がない、意気地がないことと思っていました。
ぼくはよく、その言葉についてどういう意味かわからなくなると、辞書を引く習性があります。漢字の字源が書いてある辞書をよく使うのですが、それで「諦める」という字を引いてみました。
するとその辞書にはぼくたちが一般的に捉えているネガティブな意味は書いてなかったのです。
そうではなくて、「全体を俯瞰してみて、その状態を明らかにすること」と書いてありました。
あきらかにみる→あきらかみる→あきらめる、、、みたいな形で変化していったのでしょうか。そしてどうやらネガティブなイメージは日本語だけのようです。漢字自体にはネガティブなイメージはなかったのです。
なぜ日本語だけネガティブなイメージが残ってしまったかはさておき、あきらかにみるということは一旦冷静になり、俯瞰的に物事をみることだと思います。その中で明らかにできないことはそれこそ諦めるという行為をすると思うのです。諦めるというのは一つの手段でしかないのです。
例えば、ぼくは毎晩子どもの歯磨きの仕上げを保育園児二人分するのですが、なかなか手間取ります。言うことは聞かず、ベッドで遊び回るし、やっと寝転んだと思ったら今度は口を開きません(笑)。なんとか言いくるめて歯を磨きますが、終わったときはヘトヘト、、、なんてことはしょっちゅうです。
もし仕上げ歯磨きを、”諦める”としたらどうなるでしょうか。ここは今まで通りネガティブなイメージで考えます。
子どもたちの歯が虫歯になる、痛くて可哀想、親なのに仕上げ歯磨きもしないなんて、なってない、それくらいもできないのか、などと批判の声が聞こえてきます。
だから頑張るという手も一つとしてはあると思います。強く言い聞かせて歯磨きをしたり、楽しい雰囲気を醸し出し乗り気にさせて仕上げするとか、色々な手段は他にもあると思います。
しかしここで「あきらかにみる」ということをしてみてはいかがでしょうか。一旦冷静になり、俯瞰的に物事を見てみるのです。仕事を1日中して、子どもの面倒も家事もして、おれはよくやっていると。その中で1日くらい仕上げ歯磨きを少しサボってもいいじゃないか、と思えてくる時もあります。
そこは「あきらかにみて」みて、昨日もサボったから今日はちゃんとやろうとなるかもしれませんし、それとも今日は疲れているから少し仕上げをサボろうになるかもしれません。それはその時や前後の状況に依るかと思います。
それはそれとして置いておいて、見境なく、諦める、つまり放棄することは「悪」だとする傾向は、ぼく個人的にはやめたいなというお話です。放棄することは悪いことではありません。それは手段の1つです。放棄や逃げを禁止してしまうことこそ、悪いことだと思います。
もちろん逃げたり放棄するばかりなのは、良くないと思います。ただ、逃げるのは絶対ダメということこそ、ダメだと思うのです。
逃げてもいい。逃げなくてもいい。ただそれに伴う責任は自分に降りかかってくるということを心に留めて、何事にも取り組むことが、主体性のある人生につながるのかなぁと思う今日この頃です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
俺はこう思う、私はこう思うというのがありましたら、コメント欄にお寄せください。皆さんの意見、待ってます。
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