(39) 無理はどのくらいすべきなのか

無理をすることによって、自分の限界がどんどんと拡張され、成長できると言う類の話を聞いたことがある。

一方で、無理をしすぎると体を壊すから、無理はしない方がいいという類の話も聞く。

これは一体どちらが正しいのであろうか。

おそらくどちらが正しいという話ではなく、どちらも正しいのだろう。

確かに少しくらいは無理をしていかないと成長はしないだろうし、

逆に無理ばかりすると体に良くないから自重した方が良いのだろう。

おそらくバランスの問題で、多少の無理だったらしてもいいけど、そんなにたくさんの無理はしてはいけないよ、が今までのぼくの中での正解だった。でも最近はこの解だと腑に落ちなくなっている自分がいる。そんな自分の腑を落とすために、書いていきたいと思う。

無理は界王拳と似ている

よく最近思うのだが、無理をするのと、ドラゴンボールの「界王拳」はひどく似ていると思う。

界王拳とは、ドラゴンボールの、悟空が青年になって、ベジータ率いるサイヤ人が地球に攻め込んできた時に初めて出てきた技だったと思う。

これがなかなかチート技で、使うと一気に自分の戦闘力(力みたいなもの)を2倍とか3倍に引き上げてくれるというものだ。

こんなの使った方がいいじゃんと思うが、実はこの技は諸刃の刃で、使えば使うほど自分の体力を消耗する。

確か4倍まで使うと、体がボロボロになって歩けなくくらいになってしまった記憶がある。(もうドラゴボは単行本を売ってしまったので、手元にない)

だから、便利だからといってガバガバ使うと、自分の命を消耗するという危険技でもあるのだ。

ちなみに危険技の代表格は、天津飯の気功砲であろう。あれば本当に寿命を縮めてエネルギー弾を打ち出すやつだったから、本当に危険だ。現に使いすぎで天津飯は○んでしまった回もあった気がする。

さてこの界王拳が無理をする動作ととても似ているという件だ。本当に似ている。自分の命を削って、スピードアップしている感じである。

借金にも似ている気がする。お金を前借りして後で返す。界王拳も借金も要は前借りなのだ、少し言葉が乱暴かもしれないが。

後々に残された資源(リソース)を先食いする。先食いするあおりは、後々返ってくる。

界王拳だったら体が破壊されるし、借金だって返さないといけない。

もし界王拳を1度使った(無理した)としよう。一時的に後々の体力を先に消費する。

でもまだ体力は残っている、大丈夫だ。

しかし、もしまた強敵が来たらどうする?またベジータが攻めてきたらどうする?そうしたらまた界王拳(無理)を使わなければならない。

そうした後には何が残るか。。。どんどん先食いして、いつかは自分の体力(リソース)を全て使い尽くしてしまうだろう。

無理ばかりしていると、いつか底がつく

界王拳ではなく、スーパーサイヤ人になる必要がある

ドラゴンボールでもこの先食い界王拳には限界があることを知ってか知らずか、このシステムは採用されなくなる。

そしてみなさんご存知「スーパーサイヤ人」のシステムが採用される。

これは界王拳以上に戦闘力がアップされるにも関わらず、体への負担はなく(正確にはあるが、界王拳ほどではないことから、ここではないとした)、正直使いたい放題の、スーパーチート技が発明されるのである。

実社会ではどうだろうか。無理をすることは先食いシステムだから、乱用しているといつか体力は尽きてしまう。かといってドラゴボ(ドラゴンボールの略)で言うスーパーサイヤ人みたいなご都合が良いとっておきの技があるのか?

残念ながらぼくはその技を発明できていない。その代わりに界王拳(無理すること)を封印した。

ドラゴンボールではどんどん強い敵が出てきて、敵の戦闘力も何億とかもう桁違いのやつがどんどん出てくることになり、強さのインフレが始まってしまった。

それは数字で定めたことによる宿命である。数は無限にあるから、どんどん数が大きく強い敵を出しておけば、その漫画はずっと続くことができるのだ。

しかし、現実世界はそんな辛いものにしたくない。無理をして、無理をして、それでももっと強力な敵が出てくる・・・。そんな日常はぼくはごめんである。

ぼくはSSJになるのはあきらめ、界王拳を封印した

だから、頑張るのをやめにしたのである。界王拳を封印し、戦闘力を一時的に上げることをやめた。そしてもっと戦闘力を楽に上げるためのSSJ(スーパーサイヤ人)にもなることをあきらめた。

こうすることで何が起きるか。戦闘力を上げると言うレースから一抜けしたのである。数字は先ほども言ったように無限にある。だからどこまでいってもこの競争には終わりがない。

もちろんそういう競争が好きな人には大いにおもしろいレースであろう。そう言う人はどんどんチャレンジしていけばいいと思う。

しかしぼくはぼくのペースで走るなら走りたい。無理して速度を上げて後でバテることはしたくない。

若い時には無理をすべきと言う話も聞いたことがある。あれはぼくは一理あると思う。なぜなら無理をするのは大変なこと、使うべきじゃないと知ることができるからだ。

この「無理をする」と言う技、使って見たけど、後々身体にガタがくるしあんまりいいことない・・・。しかも無理できると思われて、どんどん人からも頼られてしまう。これはまずい。

そう言うふうに若い時に思えたならばしめたもの。そこからは無理をコントロールすることができるようになる。だから若い時に一度くらいは無理して、無理とはなんぞやと言うことを把握しておいた方がいい。そういった意味でだけ、この「若い時に無理した方がいい」説には賛成である。

兎にも角にも、頑張るなんて、地球に危機が起きたときくらいでいい。地球にサイヤ人がもし攻め込んできたら、その時がぼくの頑張り時かもしれない。

以上

by
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です