(89) 凄いとはなにか

「凄」という字は、にすいに、妻で、
雨がざあざあと降っている中、家の中で妻がそれを聞いて驚いている情景を表した字だったと思う。

つまり「え、こんなに降る?」と、尋常じゃない様子に驚く状態が「凄い」状態なのだと思う。

凄いと自分が思うときはどんな時か。それらを考えていきたい。

希少性と有益性

  • 甲子園に出場したことがある。→凄いと思う
  • 東大出身である →凄いと思う
  • 社長をやっている →凄いと思う

これらはなぜ凄いと思うのか。それはまず「希少性」が挙げられると思う。どれも日本中で見れば、1%にも満たない人たちであろう。つまりレアであるというところから、凄いと思うのだ。

しかしこの希少性は裏を返すと、ちょっと特異な目で見られることもある。日記を子供の頃から三十年間毎日つけています、は凄いと思うが、毎晩寝る前に三十年間ずっと、不思議な呪文を唱えてから寝ますだと、後者はちょっとやばいのではないかと思ってしまう。二つともとても希少性が高いのに、後者に対しては引いてしまう。この違いは何なのか。

前者の日記を書くは、自分もしたことがあるのも手伝って、それをやる意義や効果が理解できる。毎日の出来事を整理することによって、棚卸しができるし、目標設定、達成にも役立つだろう。しかし後者の寝る前の呪文を唱えるは、正直意味がわからない。そんなことをする人はちょっとやばいのではないかと疑ってしまう。

前者と後者の違いは、自分の頭でその有益性を理解できるかという点だ。その物事が有益であるかどうかという「有益性」も重要になってくるように思う。

尊敬性

母親は凄いと思う。

あれだけ子どもからやんや言われても子どもたちを愛し、献身的に行う様を見て、本当に頭が上がらない。これは希少性と言えば希少性なのだが、どちらかというと、自分ではできないことができている。そういった希少性からくるものなのだと思う。これは自分ができないことができるものに対する畏怖の念、つまりは尊敬の念なのだと思う。これを「尊敬性」とここでは呼ぶこととする。

自分の凄いところは何か

ここで自分の凄いところはどういったところなのかを考えたい。

まず希少性の観点からである。あまり人がしないこと、例えば100人に1人くらいしかしないことを考えてみよう。

  1. ブログとポッドキャストを四年間くらいほぼ毎週アップしている。 →100人に1人とかではなく、多分1000人に1人くらいな気がする。
  2. サラリーマンをしながら、副業OKの会社のため、好きな写真で副業をしている。

1について、前のブログで70記事、今の記事も今回で89なので、160弱の記事となった。

ポッドキャストも160回くらいのエピソードを公開している。

それぞれ爆発的に見てもらっているわけではないが、一定数の数の方に視聴してもらっている。役に立たなければみたり聞いてもらったりしていないと思うので、一定の有益性は生み出せているのではないかと思う。

2の写真の副業についても、1年やってようやく先月2枚の写真を購入していただけた。ありがとうございます。これも有料のものをわざわざお買い求めいただいたのだから、役に立ったのだと思う。

次に尊敬性である。ここでは希少性よりも、こんなことができるなんて凄い、自分ではできないと思われているようなことをラインナップとして挙げてみる。

  • 共働きで、二人ともフルタイムで働きつつ手助けしがら、子ども2人を育てている。(ほぼ祖父母の援助なしで)
  • 平日は夜7〜8時までに帰り、子どもたちを食事させ、お風呂に入れて髪を乾かし、歯磨きの仕上げをして本を読んで寝かしつける。朝は6時半頃には起き、食事を用意し洗濯をして、子どもの準備をさせて保育園に送っていく。土日は極力家族と過ごし、数時間休憩の時間をもらって、好きな写真を撮ることをしている。
  • 仕事も物凄いパフォーマンスを出せているわけではないが、一定の成果は出せていると思う。

こうやって書いていくと、自分もまあまあというかかなり頑張って歩んできたなと褒めたくなってしまう。しかし大事なことに気づいたが、希少性の方は全然自分が頑張らなくても続けていられることだ。逆に尊敬性の方はかなり無理をしている。仕事を踏ん張りながら子育てをするのは本当に大変だし(もちろん家族との時間はかけがえのない大事で愛おしい時間だが)、もうちょっと楽にならないかと思っている。ということは尊敬性の方は無理をしている(頑張っている)から、人以上の成果を出せているに過ぎない気もする。

重要なことは、無理せずアウトプットできる領域で頑張ることなのではないかと思う。

100人のうち80人ができることなのに、自分が不得意な領域があったら、それは頑張らなくていいと思う。もちろん頑張ってチャレンジしてもいいが、成果という意味ではほとんで出ないのが現実だろう。それよりも、100人のうち1人、1000人のうち1人しかできないことなのに、自分にとっては楽にできることで、希少性と有益性を出し、『凄い』ことをしていった方が、世の中の役に立つ気がする。

以上

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