人生写真道5 勝ち負けを楽しむ心
今回のテーマは「勝ち負け」です。私たちは小さい時から競争を意識して生きています。
周りの子はもう塾に行っている
テストで悪い点数を取ってしまった
周りの子に比べ、足が遅い
人は集団の中で生きるため、他の人と自分との差異を気にしやすいです。
本来は人と比べ自分が劣っているところがあれば、それに気づき、単に修正すればよいだけです。
しかしなぜか私たちはそれがとんでもない重罪のように感じ、ひどく不安な気持ちにさせられます。それはなぜなのでしょうか。
集団から疎外される不安
これが一番大きな要因です。集団から孤立してしまうことです。人は恐ろしいほどに無力な生き物です。生き物のピラミッドの頂点に君臨していそうな気持ちにさせられますが、今あなたがサバンナのど真ん中にひとりぼっちで置き去りにされたとしたらどうでしょう。何も道具を持っていない着のみ着のままの状態だとしてです。
すぐに野生動物からの脅威に怯えるでしょう。そして水、食べ物の不足も危惧するでしょう。そこで一人でサバイバルできるでしょうか。いや普通の人であれば無理でしょう。
そうして我々は古来から協力し、大自然と戦ってきました。人の一番の武器は「協力すること」なのです。それには人と徒党を組むことが必須になります。集団を作ることは、人間の最大の武器なのです。
それが解体され、一人ぼっちになる時、人はとんでもなく無力な存在になり、生命が脅かされます。だから集団から疎外されるのを怖がるのです。
極端に、孤立することを恐れる
一方、先ほどサバンナに一人で置き去りにされることを例として出しましたが、現実問題そんなことは起きえません。
多少孤立したとしても、すぐに死んでしまうことにはなりません。しかし私たちは孤立を極端に恐れます。そこに、孤立しても大丈夫な線と、これ以上孤立するとまずそうだという線引きをする必要があります。
この線引きはどこなのでしょうか。私はそれを、「人としゃべる時間と回数」が重要だと考えています。
朝起きて、誰とも話さず、一日終わる。これはあまりよくない状態だと言えます。しかし一人暮らしで、仕事もない日だとこの状態になる人も少なくないのではと思います。仕事もテレワークでほとんど一日話さないで終わるという人もいるでしょう。
逆に家族がいる人はどうでしょうか。自分の家族と朝起きて話す。一緒に食事を取る。
昼は会社に行って同僚と話す。仕事以外のオフの部分も話す。帰ってからは家族とまた話す。休日は友人と話す。
こういった人はコミュニティに属していると言えます。家族、会社、友人。孤立していません。
しかし最初の一人暮らしでテレワークで誰とも喋らないという状態はどうでしょうか。会社という場所に所属はしていますが、心の内を話したりするコミュニケーションをしていないため、気を許した仲間がいる状態とは言えないでしょう。
このように人と喋ったりする時間がまるでない、というのは少しまずい状態だと思います。その状態を決して否定したり、けなしたりするつもりはないのですが、集団に属する、コミュニティに属する、孤立しないという意味だと、もう少し誰かとコミュニケーションを取るきっかけを作ってもいいかもしれません。
極端に孤立を恐れず楽しむ
そこでタイトルにもある「勝ち負け」を楽しむということに帰ってくるのですが、今まで述べてきたように、極端に孤立することを恐れるのではなく、線引きの中である程度自由に動いても大丈夫だということがわかった時には、あとはゲームのように楽しめばよいと考えています。
よく人生は死ぬまでの暇つぶしだとか言います。そして人生はゲームのようだという人もいます。
そんな極端なことまでは言うつもりはないのですが、少しは楽しむ気持ちを持ってもよいとは思います。
孤独を極端に恐れると、失敗も恐れるようになり、勝負事には「負けない」ように頑張るようになります。
しかし負けないように頑張っても、なかなか楽しくはなりません。
これはこうやったらうまくいくんじゃないか、やってみよう。
うーん、だめだったか、じゃあこうすればひょっとするとうまくいくんじゃないか。
子どもの頃はチャレンジすることは普通のことで、失敗してもまたチャレンジしていたはずです。
しかしいつの頃からか、失敗はよくない、危険なことだと感じるようになってしまい、チャレンジをすることをやめてしまいます。そしてチャレンジする楽しさをどこかに忘れてしまいます。
そうではなくて、ある程度安全なことが確認できたら、その中で勝ち負けを楽しんでいいと思うのです。
写真は素
人生では、集団に極端に疎外されない程度にコミュニケーションを保ち、その中で勝ち負けを楽しむと良いと今まで話してきました。
これはいろいろと試行錯誤して人生を楽しむことを指しています。
一方写真はどうでしょうか。写真のおもしろいとことは、別に構図や露出(明るさ)などを考慮し、狙った写真を撮るのも良いのですが、当然ですが、シャッターを押せば今、目に見えている一見なんの加工もされていない世界が写ります。
この点がおもしろいところだと思います。なーんの加工もされていない、ただ、今目に見えている風景が写真になるだけ。そこに何か思いがあるわけではなく、”ただそこにあるだけ”。
人生ではある程度安全がわかった状態でやり繰りするゲーム性がありますが、写真の特徴として、あるものをただ写すだけというゲーム性が全くなく、ある意味機械的な性質がただそこにあります。
色々とチャレンジしたり試行錯誤できる人生。一方、なんの加工もなく風景を撮るだけの写真。そこの明確なまでの対照性は明らかすぎて、逆に面白いと私は感じます。
人生も写真も性質は異なるが、どっちもおもしろい
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ある意味、全く違う側面を持つ、人生と写真ですが、唯一共通点があるとすれば、それは両方とも、とても楽しいものという点でしょうか。
一方、人生も楽しみすぎたり、チャレンジしすぎたりすると疲れてしまいます。そんな時はゆっくり休んで、散歩でもして、いい風景があったら写真に残すぐらいのモラトリアム感で、人生いいんではないかと思います。
今回は以上となります。
ありがとうございました。











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