有体物と無体物の違い② 顔真卿自書建中告身帖事件
今回は、前回に引き続き、有体物と無体物の違いについて、事例を用いながら話をしていきたいと思います。
前回と同様とはなりますが、この記事は専門家でもなく、自学自習だけで学んだ私が、自分の中の整理の意味も込めて作成したものです。内容の正確性について申し訳ありませんが、保証ができません。
一素人の、参考記事という程度でお楽しみいただけますと幸いです。
所有権が及ぶ範囲とは
前回の記事で、有体物は体積を持っているので、「㎤や㎥」で表せるかでジャッジできるとお話ししました。
今回は事例を元に、このジャッジが正しいものなのかどうか、考えていきたいと思います。
顔真卿自書建中告身帖(がんしんけい じしょ けんちゅうこく しんちょう)事件というのがありました。(昭和59・1・20)
これは中国唐の時代の著名な書家の顔真卿(がんしんけい)という人が書いた、「顔真卿自書建中告身帖」というものの写真を、勝手に出版したとして、自書告身帖の所有者が、出版物の差止め及び廃棄を請求したものです。
(厳密にいうと、自書告身帖の前の所有者の許諾を得て、写真撮影した者の承継人から写真乾板を譲り受けて、それを複製したりなどしていますが、写真乾板とか言われてもよくわからないと思うので、著名な昔の書道家が書いた書の写真を、勝手に出版して訴えられた、と理解いただければ良いと思います)

ここでは所有者が、どこまでその所有物に対する権利を保有するのかという点で争ったのだと思います。
結論として、そもそも著作権は保護期間というものがあり、著作者の死後70年とされています。(2018年に改正されました。それまでは死後50年)
唐の時代の書家ですから、当然死後70年は過ぎています。過ぎるとパブリックドメインとなり、誰でも自由にその著作物を使えるようになります。
そうなると、この書も自由に使って良いということとなります。そのため判決では、パブリックドメインなので誰でも自由に使ってよし、出版してもよし。だから棄却、という結果となりました。
そもそもパブリックドメインなので、自由に使って良いという結論になりましたが、ここでは所有権と著作権の話が出ました。
書などの美術の著作物の原作品はまず所有権の対象であると。だからこの原作品を譲渡したり極端な話捨てるのも自由だねと裁判所は言いました。
これに対して美術の著作物の”著作権者”は、その原作品を持っていなくても、複製したり譲渡する権利を専有すると言いました。
もしこの裁判が起こったのが、著作権の保護期間内で起きていたものだったら、どうなっていたでしょう。
おそらく、著作権の侵害だとして、原告が勝っていたのではないでしょうか。
ここで考えるべきことは、何がOKで、何がNGかということです。
人が所有している物を盗むのは犯罪です。これはなんとなく直感的に理解できます。
人の家のものを勝手に持っていくのはNGですし、人が持っているものも勝手に持っていってはいけません。
では著作物という目に見えないものはどうでしょうか。
いやいや、美術品は目に見えるよ、と思うでしょう。そこでまず、著作権法で定められている、著作物の定義を再度確認します。
著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術、又は音楽の範囲に属するもの(2条1項1号)」とあります。
そして著作物の例示として、次のものが挙げられています。
言語、音楽、舞踊、美術、建築、図面、映画、写真、プログラム(10条)
美術については、原作品という言葉が出てきます。これは著作物を有形的に再製した物とされています。(https://jrrc.or.jp/no388 3 著作権法における所有権との調整(1)原作品と複製物の関係)
ここでよくわからなくなるのが、「えっ、美術品である絵画とか書とかは、目に見えるもの、体積を持ちますよね、だから有体物ですよね。ってことはこれは所有権が及ぶ範囲で、著作権の範囲ではないですよね?なんで著作権法で例示として美術が挙げられているんですか?」と思うと思います。
有体物と無体物を例示化して考える
ここは私も理解に苦しんだのですが、下図のように考えれば理解することができました。

まずわかりやすい、目に見えないものからやってみましょう。
例えば音楽。「およげ!たいやきくん」は誰もが知っているフレーズですよね。
まあ「だんご三兄弟」でもなんでも良いですが、あれらは耳で聞くものですが、音楽に体積はないため、無体物ですよね。
一方それら音楽が録音されたCDになると体積を持つため、有体物になります。
人が持っている物を盗んだら、窃盗罪になります。
そして「およげ!たいやきくん」のCDを持っていたとしても、その内容(音楽)を複製してよそで売ったらいけません。これは著作権侵害になります。
大事なのは外側の物の部分ではなく、中身、コンテンツ、情報が著作権の対象になってくるのです。
なんとなくイメージが掴めてきましたでしょうか。
次の例示は目に見えてくるもので、小説です。
「吾輩は猫である」の文庫本は体積があるため、有体物です。これを勝手に本屋から盗んだら万引きです。
そしてこの本の大事なところはなんでしょう。「吾輩は猫である」の文庫本を買って1ページめくったら白紙だったとすると、なんじゃこりゃとなるわけです。なぜなんじゃこりゃと思うかというと、文庫本を買うのが目的ではなく、その中身、小説の部分が読みたくて買っているからなのです。
これも、外側の本という形態が大事なのではなく、中身、小説の部分を欲しているから、このような心の動きになるわけです。
そして最後に美術です。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザは誰がどう見ても美術品ですよね。(ただ、著作者(ダヴィンチ)の死後もう何百年と経過しているので、パブリックドメインと言って、誰でも使える著作権フリーの状態になっています)
ルーブル美術館にあるモナリザの絵は当然体積がありますので、有体物です。
しかしあのモナリザの絵の情報は体積がありません。ここで「情報」というと説明が難しいですが、例えば私が「モナリザ」と言えば、今皆さんの頭の中に、黒い服を着た女性が、滝川クリステルばりの斜め45°の角度でこちらに微笑む絵が思い浮かんだのではないでしょうか。
あれが美術としてのモナリザの情報です。もしモナリザの絵が著作権の保護期間内だったとすると、それを複製したとすると、その原作品を盗んでないにせよ、著作権侵害となるのです。
冒頭の顔真卿の事件も、同じです。顔真卿の書も著作権の保護期間内だったとすると、複製した瞬間、著作権侵害となるのです。これは書を盗んだのではなくても、写真として複製(写真に撮ることは複製行為に当たります)すれば、その内容の部分を複製したとして、著作権侵害となってしまうのです。
大事なのは、情報、内容、コンテンツ
無体物というものは、その物が持っている情報、内容、コンテンツを指します。
CDの中に入っている音楽自体、本の内容である小説自体、絵画の中で描かれている美術自体。
特に美術は作者が自分の表現を具体的にするときに、すぐに有体化(絵として描く)するため、有体物と無体物の境目がわかりづらくなりやすいと思います。
モナリザだったら、あの微笑んだ女性の絵が著作権の対象である情報、内容、コンテンツ。
ゴッホのひまわりと聞いて思い浮かぶであろう、あのひまわりの絵が著作権の対象である無体物となるわけです。
このように無体物に対して理解を深めていけば良いのかと思います。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
内容について感想あれば、コメント欄からぜひお寄せください。
今回は以上です。











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